A 欠落
七曲目 〜旅行〜
 事故から二週間が経ち、その間に訪れた見舞客の励ましと若さもあって、晃汰の胸は予定よりも早く完治した。それは何より、晃汰自身の一刻も早く何とかせねばという想いが、怪我に勝った証拠である。

「こんなに早く治る人、見たことないよ」

 山室は二枚のレントゲン写真を見比べた。ポッキリと折れた骨が隙間なくくっついたサマが、白影として映し出されている。そんな自身の内部の写真に、晃汰は何とも言えぬ表情を浮かべる他なかった。

 山室との面談は三十分ほどで終わった。今後は胸の柔軟性を取り戻す為のストレッチを、リハビリとして一週間ほど行った後に退院といった予定を示され、晃汰はスキップをしたくなるような高揚感で一杯だった。早くこの退屈な生活から抜け出したいと思っていた所だったから、こんなにも晃汰が喜ぶのも無理はない。昼下がりの病院はどこか悪い意味で賑わっていた。晃汰も幾度となく、身体を壁に擦り付けるようにして転がってくるベッドをやり過ごした。そんなアクロバティックな動きをしても痛まない胸に、晃汰は心底安心して病室へと戻った。

 病室にはまたも一人の見舞客が、晃汰の帰りを待っていた。分けられた前髪から覗く額の病的な程の純白さが、名前を物語っている。

「来るならLINEぐらいしてくれてもいいじゃないですか。茶菓子ぐらい用意するのに」

 晃汰はベッドには上がらず、見舞客と同様に丸椅子を病室の隅から持ってきて腰掛ける。

「そう言って、可愛い看護師さん誑かして変な事してるとこ、見られたくないんでしょ」

「あのねぇ、そんなエロ漫画みたいな出来事ある訳ないでしょ。なんかの見過ぎだっての」

 苦笑いを浮かべ、晃汰は目元を指先で掻いた。ヒムロックを模倣とした彼のクセである。

 数える程度しかなかった午後の仕事を早々に切り上げ、手土産のシュークリームを手にした白石は、年下ギタリストの見舞いに向かった。部屋の番号と位置は事前に竜恩寺から聞いており、大規模な病院に入っても迷う事なく晃汰の病室にたどり着くことができた。しかし、当の本人はベッドにはいなかった。病室前の廊下を行き来する看護師に尋ねるのも手だったが、無闇矢鱈に自分の存在を広める事を危惧した白石は、そのまま大人しく待っている事にした。ベッドの上でも使えるコの字型の机には、晃汰がいつも使っているiPadにiphone、ブルーライト対応の伊達メガネ、数冊の小説などが置かれていた。異性の病室に入る機会など滅多に無い為、白石は部屋中を興味津々に見て回った。何せ個室の一人部屋だから、広さは十二分である。本棚にはギター関連の雑誌に、健全な成人男性ならではの本、冷蔵庫の奥に隠すようにしまってある缶チューハイまで、白石はまるで彼氏の部屋の様に探りを入れた。そしてそれも飽きると、再び丸椅子に腰掛けて晃汰が帰ってくるのを待った。スマホを弄り出してすぐに、お目当の人物は見慣れない病院着姿で戻ってきた。彼の顔を見た瞬間、胸の底が熱くなるのを白石は確かに感じた。


「で、写真集が売れに売れまくって印税だけでも生活できちゃう様な白石様が、僕に何の用で?」

 白石が持ってきたシュークリームを頬張りながら、晃汰は彼女の眼を見た。白石が何かを隠している事ぐらい、晃汰にはお見通しである。対する絶対的エースは、一度立ち上がって病室の周囲に人がいない事を確認すると、晃汰の耳元に口を寄せた。

 それは晃汰を含む首脳陣には既知のことだった。以前より白石本人から上層部に申し入れはされていたし、その引き金を引くのは他ならぬ白石に委ねられていた。その引き金が引かれ、絶望という弾丸がファンの夢と希望を打ち砕こうとしている。白石麻衣は卒業を決心したのだった。それを受け入れる事とその決断を捻じ曲げる事、どちらも晃汰の説得を以ってしても不可能な事ぐらい誰にでもわかる。だが、どのメンバーが欠けてもそれは乃木坂46ではなくなってしまう、“オリジナル”を超えられない事はAKB時代から晃汰には分かっている。

「一人になって何が出来るか。乃木坂っていう肩書が外れた私がどれだけ通用するのか、試してみたい。歌とかお芝居とか、もっとチャレンジしてみたいの」

 すぐにでも抱き合える距離の中、小声で白石は自分の決意の丈を晃汰にぶつける。その表情に一片の曇りがなく、真っ直ぐな眼をしていることが晃汰の後ろ髪を余計に引く。

「けど、ギターも弾けない、曲も書けない俺は無用の人間だぜ?こんな無能に卒業宣言したって時間の無駄だよ」

 晃汰は自身の現状を嘲笑し、入院生活で細くなった脚を組む。すると白石は待ってましたと言わんばかり、徐に自身のバッグからなにやらカラフルな冊子数冊取り出した。

「そんな事は“今”の晃汰にはお願いしない。するのは、一緒に卒業旅行に行ってほし・・・」

「アホか」

 屈託のない笑顔を引き裂く様な食い気味のツッコミを喰らってもなお、白石は自論を展開する。

「聞いて、晃汰が反対するのは百も承知。だから、天才麻衣ちゃんは策を考えてきました」

 引戸の鍵を閉める晃汰を白石は座りながら追い、再び座った晃汰に再度彼女は熱弁する。

「もう今野さんには了解貰ってるんだ、晃汰と二人っきりってね。で、卒業発表はその後に期間を置いてします」

 この人のファンは浮かばれないだろうなと、晃汰は見えないファンを案じて目の前で十字を切った。そんな事もお構いなしに、白石はパンフレットを広げ始めた。

「だめだこりゃ」

 晃汰はとうとう観念し、白石の“策”に一役買うことを決めた。

■筆者メッセージ
だいぶお久しぶりになってしまいました・・・まいやんの卒業、かなりダメージですね・・・
Zodiac ( 2020/02/29(土) 20:25 )