44 Storys 〜時計〜
予定していた時間よりも少々遅れて、森保は晃汰が待つ真っ赤なスポーツカーに乗ってきた。
「取材が長引いちゃって・・・ この後デートなんですなんて言えないから、されるがままだった」
汗で額にはりついた前髪を分けながら、森保は弾んだ息を整える。 彼女を始めて86に乗せる嬉しさからか、晃汰は唇に浮かべる笑みだけで返事をし、クラッチをつないだ。
「この車初めて乗る。 晃汰、前からこの車欲しいって言ってたもんね」
身体を包み込むシートに座る森保は、自分の彼氏が値段はともかく新車を買ったことに対し、感慨深そうに眼を細める。 晃汰は照れ笑いをするが、俺はまだまだこんなもんじゃないぜと言わんばかりに、速度を上げる。 夕暮れの首都高速は比較的交通量が多く、少しでも流れに乗れない車は後続車両に車間距離を詰められる。 平日に仕事で乗らないような車を運転する若者は格好の的で、真っ赤な86などこれ以上ないターゲットである。 そんな周囲の妬みをすかすように、晃汰はアクセルを強く踏み込んでいる。 エンジンが心地よいサウンドを奏で、晃汰はその音に酔いしれている。
夏の太陽が沈み切る前に、晃汰の運転するスポーツカーは自分のガレージへと戻った。 乗降性の悪いこの車に、森保はしばらくの間苦戦を強いられることとなる。 シャワーを浴び、晃汰は濃紺のスリーピース・スーツ、森保は晃汰が用意したカクテルドレスに身を包み、二人だけの時間を広間で楽しむ。 広間にはこの日の為に用意された大きめのテーブルに、純白のクロスがかけられ真ん中にはキャンドルが小さく燃えている。 福田特製のイタリアン料理のフルコースが続々と二人の前に置かれ、彼らは舌鼓を打ちながら堪能する。
デザートが運ばれてくるのをきっかけに、晃汰は日中に買い求めたプレゼントを、森保に渡した。 高そうな時計の箱を開け、森保は眼をひん剥いて驚く。 その表情に満足した晃汰は、ケーキを平らげ、アイスカフェオレを口に含む。 ベルトも調節済みなため、すぐに森保は貰った時計を左腕に通す。
「似合う?」
細い左腕を目の前の晃汰に見せ、森保は恐る恐る彼に問う。 ネクタイを緩めた晃汰は、静かに頷く。 満足そうに森保は時計を腕から外し、再び箱にしまった。
「つけてればいいのに」
「大事な時にしか付けないようにしたいの」
晃汰は、森保に四六時中その時計を着用してほしかったが、彼女の可愛らしい言い分に納得し、再びアイスカフェオレを口に含んだ。
「うん、やっぱり綺麗だね」
満足そうに時計と森保とを見比べ、晃汰はうっとしとした表情を浮かべる。
「それって、時計がってこと?」
森保が物欲しそうに尋ねる。
「そんな訳あるかよ」
せせら笑いをし、晃汰はネクタイを緩める。 森保もフフッと笑い、再びデザートを食べ始めた。
食後の珈琲をお互いに飲み終え、二人は席を立った。 何処までも続いているような廊下を、ギタリストとアイドルは指を絡ませて歩いた。 誰も見ていないという開放感からか、森保は晃汰の右腕に絡まって歩いた。 彼女のそんな仕草に、晃汰は心臓の鼓動が早くなるのを隠せなかった。