10 Storys 〜バンド形態〜
「ブラスバンドで曲を、コンサートで披露したい」
HKTのコンサート企画会議で、さっしーこと指原莉乃が放った一言である。 学生時代に吹奏楽部に所属していた彼女は、大人数でハーモニーを奏でる心地よさを人一倍知っている。 その快感をメンバーとも共有したいと考え、こんな突拍子も無い発言に至ったのである。 もちろん、その場で聞いていた京介でさえも度肝を抜かれたが、ピンチになればなるほど闘争心に火が付く性分なので、彼は悪戯な笑みを浮かべて指原の意見に引き続き耳を傾ける。
「選抜メンバーだけじゃなくて、HKT全員で何かを創りたい。 一人残らず、楽器を持たせて・・・」
支配人兼任アイドルの熱弁に、尾崎支配人をはじめ多くの幹部らはやや前屈みに、体勢を変えつつある。 一方で、練習時間や楽器代など、慎重派からの指摘も数多く飛び交う。 だが、そんな問題はAKSの財力とコンサート最終公
演までの期間を考慮すれば、ギリギリといった結論が出された。 このことは言いだしっぺの指原本人の口から、直接メンバーに伝えるということで決まった。
「あと、もう一ついいですか・・・?」
先程から話し合いの主導権を握っている元へたれが、再び右手を挙げる。 その手に集中する視線の音が聞こえるくらいの注目を集めきったところで、指原は京介に眼を向ける。
「京介、ちょっと晃汰とテレビ通話してもらっていい?」
集まっていた視線は瞬く間に最年少スタッフのひとりに注がれたが、そんなことでは動じない京介は、はいと軽く答えて自前のノート型PCを叩き、スカイプを起動する。 ソフトバンクホークスの本拠地がある県と、どちらかと言うと巨人軍の本拠地がある方に近い場所とが電波でつながる。
「指原先輩がお呼びだぜ」
画面の向こう側の晃汰に、京介は同様の笑みを浮かべて用件を伝える。 正常に交信ができていることを確認し、彼はPCの画面を指原や幹部らから見えるように回転させた。 即席のTV会議の出来上がりである。
「晃汰、今からバンドの練習をさせて、ツアーの最終公
演の横アリまでに間に合わせられる?」
なんの前置きもなく、指原は画面の中の晃汰に問う。 いきなりの会議といきなりの質問に困惑を示す晃汰だったが、ほんの数秒で冷静さを取り戻し、指原に質問をし返す。
「曲によると思います。 シンプルなものなら付け焼刃程度にはなるとおもいますけど・・・」
例を示したうえで、ギタリストはセンター様に返す。 だが、そのセンター様の口からは晃汰が思いもしないアーティストと曲名が告げられる。
「
BOOWYさんのONLY YOUを
演ろうと思うんだけど・・・ ハロプロのコンサートでやってて、良いなって思って」
数秒間、晃汰の思考は停止した。 あらゆる可能性と過程を考えに考え、ようやくギタリストは口を開いた。
「やってやれないことは無いと思いますよ。 ただ、原曲とは違うキーなんで、少しメンバーは戸惑うかもしれませんね・・・ その辺は、僕なり竜恩寺がしっかりサポートしますよ」
腕を組んで胸を反らし、自信に満ちた笑みをギタリストは浮かべた。 端末の裏の京介は苦笑いを浮かべる。
― 会議の次の日、晃汰と指原、そして尾崎支配人とHKTの音楽担当の宮崎拓郎が顔を合わせ、様々な事を確認する。 この宮崎と晃汰は何度も仕事を共にしており、もう気の知れた先輩後輩といった関係なのである。
「サイドギターで僕が入ってもいいんですが、やはりメンバーだけでやってもらいたいですよ、本心は・・・」
難しい表情をしてはいるものの、どこか楽しげな晃汰は他の3人の顔を見渡す。 その世界には精通している宮崎も頷き、付け足しをする。
「ただ、コード楽器が1人だけだから、かなりギターに求める技術が高くなるよね。 晃汰は分かってると思うけど、音作りとかね」
合わせた手に顎をのせながら宮崎は、晃汰の右手の親指で左の掌をこする癖を見ている。 2人だけしか知らない世界から除外されたような気分の指原と尾崎は、ただ、黙って聞いているしか今は他ない。
「メンバーは誰にするんですか? ギターとベースとドラムス・・・」
指原と尾崎がやっと話し合いに参加できたのは、専門用語が飛び交う語彙戦争開戦から十数分後だった。 ふと晃汰が指原の方に顔を向け、疑問点を彼女にぶつける。
「だいたい決まってるよ。 ギターはエミリーで、ベースはキャップ、ドラムは碧唯」
おっ! という顔をする晃汰だったが、さほど驚く様子でもなく、なにやら点を見てシュミレーションを始める。 いろんな角度に視線を移しては、何度か頷きながら紙に走り書きを晃汰はする。 最後に力強く一直線な線を引いたところで、ギタリストは顔をあげて再び指原を見る。
「じゃあ、明日全体リハがあるんで、その時に莉乃さんの口から発表をしてください。 僕も立ち会いますんで」
書いたメモを綺麗に畳んでカバンにしまった晃汰は、指原の手元を見ながらミルクティーを啜る。 指原は頷いて腰を上げ、それに続いて尾崎支配人も紙コップのお茶を飲み干して立ち上った。 その後姿が部屋からなくなると宮崎は背もたれに身を委ね、目の前でマグカップを弄るギタリストに尋ねる。
「2曲目かなんかで俺も登場して、ついでに布袋さんをゲストで呼ぼうかな なんて思ってるんだろ?」
宮崎のこの発言に晃汰は苦笑いを浮かべて、再びマグカップに口をつける。 カップの底が見え、彼は口を開く。
「お見通しですか。 犯罪心理学者とかになった方がいいですよ」
冗談を交えながら照れ隠しを晃汰はするが、図星以外に表現する言葉が見当たらないぐらい宮崎の推測は完璧である。
「とにかく、あの3人に楽器を教えなきゃいけないことは変わりません。 根気強くやっていきますよ」
ドアを開けようとする宮崎の背中に、晃汰はスタッフとしての誇りとギタリストとしてのプライドを纏った言葉を残す。 宮崎は振り返らずにあぁとだけ返事をし、ドアの向こうに消えた、 1人になった晃汰は、スマホを取り出してLINEを開く。 最も気の知れたベースとドラムスの講師を呼ぶためだ。