94 Storys 〜ほりでー〜
全国に待たせているファンの元に行く、それが全国ツアーの醍醐味である。待ちわびるファンとは裏腹に、メンバーの誰しもがこの全国ツアーが始まらなければ・・・と思っている。そのツアーのゴールこそが、時代のピリオドである事は既にグループ内には知れ渡っている。それだけ各々がこのツアーに対して並々ならぬ思いを抱いて全国を回る。
今回はバンド監督の他に、総合演出の監督も晃汰は任された。音だけでなく見え方までをも管理するため、リハーサルからいつも以上に熱が入る。
「オープニングはスモーク流して背後からのライトだけで登場です。そのあと、その日のピックアップメンバーが第一声を発して、本編がスタートです」
ギターを肩から下げた晃汰は演出台本を片手にするという、なんとも慌ただしい格好でステージを行き来する。一曲が終われば舞台監督と打ち合わせをし、また一曲が終われば今度はPA席のエンジニアとマイク越しに専門用語を交わす。二日間に渡って行われる名古屋の前日、晃汰が全てを終えて控え室に上がって来たのは日付が変わる頃だった。
「仕事あり過ぎだっての・・・」
身体中の関節を回しながら晃汰はボヤく。それもそのはずで、普段は三人で行う演奏、音楽演出、舞台演出を一人で行うという離れ業を演じるのだから、長い時間を要するのは仕方がなかった。
やっとの思いで着替えをすませ、少しの荷物を持って帰ろうとした晃汰であったが、やはり邪魔が入るのは毎回のことである。だが、晃汰を待ち構えていたのがなんとも珍しいメンバーだった。
◇
「ん〜ハイボールに唐揚げって最高〜」
同じ方向を見て座るカウンター席に、美味しそうに眼を細める堀に、苦笑いが止まらない晃汰の姿がある。彼を待ち構えていたのは正しく堀未央奈であった。なんとギタリストに近い関係者に、晃汰の終わる時間を聞き出したり、今野に二人で呑みの許可まで取るという用意周到ぶりだった。
そんな堀を横目に、晃汰はコーラをジョッキを傾ける。一杯目こそ生ビールを飲み干したが、二杯目からこのコーラに晃汰は変えた。ライヴ前はあまりアルコールを体内に入れたくないという、彼の方針である。そんなことはお構いなしに、隣に座る堀はガブガブとハイボールを流し込む。その様子を見て、仮にも明日はライヴだしアンタはアイドルだぜ、と晃汰は思うだけにした。
「最近4期がさぁ」
アルコールが回ってきたらしく、堀は声を一段落として普段は閉じ込めている心情を吐露し始めた。あれだけ飲めばそりゃ回るよと晃汰は思いつつも、現役メンバーの貴重な生の声に耳を傾ける。
「3期が推されたと思ったら、今度は4期でしょ。不遇の2期は不遇のままなんだなって・・・」
ジョッキに伸びる手の回数が減る分、堀の溜め息の数が増える。晃汰はそれをうなずき、時には自論を挟んで相手をする。
不遇の二期、乃木坂の内外ではしばしばその言葉が使われる。あまり焦点(Focus)を当てて貰える機会の少ない二期生を総称して、この単語が囁かれるようになってしまった。それでも、数少ないチャンスを彼女たちはモノにしていると、晃汰は確信している。隣に座る堀をはじめとするモデルをやる者、知識を活かして歴史番組やクイズ番組に出る者、歌唱力と演技力を買われて舞台で輝きを放つ者、水風船の職人として番組で活躍する者・・・決して“不作“なんかではない、晃汰はいつもその内外の評価に嫌悪感を感じていた。
「でも、晃汰が来てから変わったんだ」
堀は残り少ないハイボールを飲み干した。
「選抜曲だけじゃなくて、アンダーの曲も手を抜かず作ってくれる。なんなら、表題曲よりもカッコいい曲を作ってくれる。それでいて、選抜や期生関係なしに分け隔たりなく接してくれて。アンダーとかなかなチャンスをもらえない子が、どれだけ晃汰に助けられてるかわかってる?」
途中から堀は、意味もなく語気を強める。まるで怒られているのかと晃汰は錯覚してしまった。
「だから、晃汰の事が好きなの」
「は?」
訳がわからない。堀の唐突な告白に、晃汰は敬語をすっ飛ばして彼女に返事をした。乃木坂が自分を好いている事が理解できないのか、堀の何の脈略もない話術に違和感を覚えたのか、それさえも晃汰にはわからない。
「私の他にも、晃汰の事が好きな子は他に・・・」
すんでの所で、晃汰は堀の口を左手で塞いだ。堀のルージュが掌についたが、今はそんな事は気にしてはいられない。周囲には一般客がいる手前、安易は事は喋らせたくないと、晃汰は判断してのとっさの行動をとった。
「その話はまた別の機会で」
晃汰は残っていた酒を飲み干し、堀の手を強引に引いて店を出た。グズグズしていたら、周りの客に感づかれてしまうと思ったからだ。
「まだ飲みたかったのにぃ」
「誰がそういう状況を作ったんですか!」
店から宿泊するホテルまでの道中で、晃汰は堀を一喝する。
「内輪の時ならまだしも、何故にあんな所であんな話をするんですか」
晃汰は尚も呆れながら、隣を歩く堀の顔を見る。
「・・・それは、ゴメン」
俯いて素直に謝る堀を見て、晃汰はそれ以上何も言えなくなってしまった。
無事にホテルに着くと、二人はまっすぐに客室へと通じるエレベーターに乗り込んだ。
「でも、私の好きって、まぁ恋愛感情は入ってるけど、それは80%とかだから安心し・・・」
「もう殆ど恋愛感情じゃないですか」
殆ど酒が入っていない頭はキレッキレだ。晃汰は我ながらツッコミの速さに感服した。
「ん〜・・・でも、まどかちゃんがグズグズしてたら晃汰の事奪っちゃうからね」
「だからさ、何でどいつもこいつも俺の彼女の名前知ってる訳?」
大きく溜め息をついてから、晃汰は肩を落とす。横の堀はケラケラと笑う。
「でも安心して?晃汰とまどかちゃんの恋路を邪魔するつもりはないから」
「邪魔しないって言ってる人が、サラッと告白なんかしてこないですよね」
晃汰の返に、堀は惚けた顔をするだけだった。
やがて、エレベーターは指定したフロアに到着した。偶然なことに、晃汰と堀の部屋は同じフロアであった。
「私は楽しかったよ?晃汰も楽しかったでしょ?」
「はい、とても。誰かさんが余計な事を言わなければもっと楽しかったですけどね」
尚も隣を歩く堀に、晃汰は皮肉たっぷりに答える。とうとう反省した堀は、頭を押さえて俯いた。
「じゃあ、私ここだから」
堀はとある部屋の前で立ち止まった。
「ありがとうございました、おやすみなさい」
晃汰は彼女に対し一礼した。その瞬間、堀は晃汰に抱きついた。
「来ると思ってましたけどね、離してください、眠いです」
彼女のいる手前に立場を考慮して嫌がるフリをするが、今をときめく乃木坂46からハグをされて嫌な男性などいるものか。晃汰は拒絶を装うも堀の体温に、森保の懐かしさを求めてしまう。
「じゃあ、キスしてくれたら帰してあげる」
堀は山下にも劣らぬ小悪魔っぷりを発揮する。晃汰は一瞬躊躇うも、目を瞑り唇を窄めて待つ堀の額にキスをした。
「ひどくない!?普通は唇でしょ!?」
額を指で触りながら、堀は眼をひん剥く。
「キスは唇だけじゃないですからね。ではおやすみなさい」
今度こそ晃汰は堀に会釈をして、自室へと向かって歩き出した。そんな晃汰の背中を見守る堀は、どこか嬉しそうな表情を浮かべて部屋のドアを開けた。バラされていないスーツケースを通りすぎ、靴を履いたままベッドに飛び込む。
「皆が好きなる気持ち、分かるなぁ」
まるで先輩に片想いをする女子高生のようなセリフを堀は口にする。彼女は寝転がったままポケットのスマホをとりだし、晃汰にLINEを送った。スタンプだけの簡素なやりとりは一往復だけ続き、二人は別々の部屋で余韻を感じながら眠りについた。