春物語
19
「ねえ、達彦くん……ここって?」




「ああ、見ての通りだが」



 渡辺は教室前に掲げられた「お化け屋敷」という看板をポカンとした表情で見つめている。俺がベンチで座っている時に見つけたのは、このお化け屋敷の看板だった。そういえば平手のクラスの出し物だったなということを思い出し、ちょうど良い時間潰しになると思い、渡辺をここまで連れてきた。




「ここに入るの……?」




「何だ渡辺はこういうの苦手なのか?」




「……達彦くんと一緒なら大丈夫な気がする」



「そっか……。じゃあ、行くか」



 咄嗟の渡辺の言葉に不意な恥ずかしさに襲われる。
 動揺を悟られまい、とそそくさと受付に向かい、案内を受ける。果たして平手はお化け役でスタンバイしているのだろうか。まあ、暗闇で探しようもないのだが。




「お客様、二名入られまーす」




 元気のいい受付の女の子の声で扉が閉まり、暗幕が引かれサッと外部からの光を閉ざしてしまう。
 視界は一気に辺りが視えないほど暗がりに変わる。中では不気味なBGMが流れていて、雰囲気に関しては抜群であった。
 刹那、少しビビリ始めて俺の腕が一気に締め上げられる。




「痛っ!」




「……ご、ごめんなさい」




「いや、別にいいんだが……」




 やはり渡辺には少し厳しかっただろうか。俺の腕に掴まる渡辺は顔を伏せて、足取りはズンと重く、感覚としてはまるでマネキンを引きずっているかのようだ。俺がお化け屋敷に行こうと告げた時、かなり表情が引き攣っていたのはこのことなのだろう。




 と言っても、今では俺の方も緊張してしまっている。それはお化け屋敷というよりも横に引っ付いている渡辺が原因である。予想以上の密着具合に心臓の鼓動が高鳴ってきているのだ。渡辺の髪の匂い、もっちりとした肌。それらを余すことなく感じようと全神経が過敏になっている。
 特に鼻腔へと伝わってくるシャンプーの香り。それ以外何も考えられないくらい犯罪級のその匂いは今まで嗅いできたどんなものよりも良い匂いだ。
 そんな変態気味なことを考えながら、暗がりの道を進んでいく。進んでいくと、いかにも不気味にライトを当てられている怪しい井戸が見えてきた。




「絶対あそこから出るだろ」




「え? 何が出るの……?」




「あ、いや。渡辺は顔を上げない方がいいよ」




 俺の言葉を聞いた渡辺は不安げに訊いてきた。しかし、顔は伏せているため、どういう状況か分からないようだ。逆にそっちの方が怖いと思うのだが、無理に顔を上げろなんてことは言えない。腕に掴まった渡辺を連れ、井戸へと近付く。出ると分かっていながら進むものほど滑稽なものはないと思いつつ近付いていくと、ベタとも言える白装束のお化けが勢いよく井戸から飛び出してきた。




「……お、おお」




「なに!? え、嫌だ!!」




 俺は何とも言えないリアクションしかできなかったのだが、渡辺はお化けの登場により半ばパニックとも言える状態になってしまった。顔は伏せて前は見えない筈なのだが、どうやら登場の音響に驚いたらしい。そのせいで俺の腕に捕まっていた渡辺は我先に進もうとグイグイと引っ張ってゴールを目指そうとする。




「お、おい! 渡辺落ち着けって!」




 そんな俺の静止の言葉は渡辺には届かず、挙句の果てには俺の腕から離れて全速力で駆けていった。俺の制止の言葉は渡辺には届かず、見えない暗闇の先へと消えていってしまった。




「おいおい、置いてかれたぞ」




 あまりのスピードに俺は呆然とするばかり。おまけに仕掛け人のお化けも置いていかれた俺を見て申し訳なさそうに元の配置へと戻っていく。なんとも可哀想な状況である。まさか演者側からあのような気まずい雰囲気を出されるなんて思いもしなかった。




「……とりあえずゴール目指すか」




 俺は苦笑いを浮かべ、再び暗闇の道を進み始めた。渡辺の無事を願うが、進まないことには安否確認も取れない。渡辺が隣に居なくなった以上、ゆっくりと進む必要はない。勢い良く出てくるお化けを尻目に暗闇を進む。こんなもの人が演じていると思えば対して怖くもない。前方だけを見て、ゴールを目指す。進んでみると分かったのは、意外とゴールまで長いということ。自分から入ろうと提案したもののパートナが消え、一人で進むことの億劫さを身に染みて味わうこととなった。




 ただひたすら進むこと数分、ようやく出口から漏れる光が前方に現れた。はあ、やっとゴールか。来た道の途中で渡辺は見なかったから、外で待っていることだろう。全速力で駆けていったのだ、かなり待たせてしまったのかもしれない。ゴールに向けて少し早歩きで進もうとした時、横から勢い良く何かの物体がぶつかってきた。




「びっくりした……さすがに体に触れるのはダメだろ」




 驚かせようとして勢い余ったお化けが突進してきたに違いない。ここは一つ説教でもしてやりたいが、なんせ暗闇のため顔が視認できない。いや、少しは目は慣れているのだが、相手は顔を伏せている。ひとまずはお化けを引き離そうと相手の肩を掴もうとした時、俺の腕は強引に引っ張られたと思うと、突如として激痛が走る。暗闇でよく分からないが、恐らく腕を噛み付かれたのだろう。




「痛っ! 何しやがんだ!」




 容赦ない噛み付きに全神経が騒ぎ立つ。突進まではまだ許せたが、これはさすがに演出の域を逸脱している。俺は噛み付いてきた奴を捕まえようと噛まれていないもう片方の腕を伸ばすが、スルリと躱し、まるで鼠のように暗闇の中へと消えていった。追いかけようとするが、暗闇の上、ここの仕組みが分からないため追いかけようがない。




「あの野郎何処に行きやがった? ったく、完璧血が出てるぞ、これ」




 暗闇で確認できないが、明らかに液状の何かが腕を伝う感覚が噛まれた腕にある。しかし、何の恨みがあってお化けは噛み付いてきたのだろう。それとも演出の一環なのだろうか。いや、何が何でもこれは行き過ぎている。これはいわば傷害事件だ。俺に対するただの嫌がらせかもしれないが、あまりにも唐突すぎる。




「考えても仕方ないか。まずはここから出てからだな」



 憤慨しそうになるが、心を落ち着かせる。今起きたことは後で受付にでも伝えておこう。俺は痛む腕を押さえ、ゴールへと向かった。

ウォン ( 2017/06/21(水) 21:42 )