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 昼休みはほとんど書類の処理に費やされた。柚菜も手伝ってくれたけど、たかが2日仕事から離れただけでもかなりたまっていた。

 自分が手がけて配布していたものが戻ってきている書類だったから、機械的に一気に処理していく。リストを見て照合したり、こちらで直せるミスなら直していったり、不明点には深く考え込まずにどんどん付箋を貼ったり、生徒会や職員室に提出する書類には検印代わりのサインを書いていったりと、別に難しい処理はしていない。

 ただ、隣で見ていた柚菜には驚きの速度だったらしく、手伝いながら感心していた。


「やっぱりすごいね」

「面倒なことは後回しにしてるからね。別にすごくもなんともないよ」

「このスピードをすごくないとかいったら、落ち込みます」

「なんで?」

「私にはどうがんばっても無理です」

「そこは得手不得手があるでしょうよ。俺だって柚菜みたいに綿密なチェックは出来ないよ。ざっとやっていくのは俺の得意分野、綿密さは柚菜の得意分野。人それぞれだよ」

「そういう風にいえるのもすごいと思います」

「あのね、柚菜は俺がやることは何でもすごく感じちゃってるんじゃない?」

「そうかもしれません」


 柚菜はあっさり認めた。俺が書類から少し目を離して柚菜を見ると、白い顔をわずかに上気させて、聞こえるぎりぎりの小さな声で言った。


「惚れた弱みなので仕方ありません」

 
 思わず書類を放り投げそうになった。いきなり何を言い出すんだ、この娘は。

 引っ込み思案で大人しくて、なかなか自分の思いを口に出さない。それが一般的な柚菜のイメージだと思う。いやいや、とんでもないですよ。最近は言いたいことをはっきりと言う娘だ。まだ声は小さいけどね。


 これは内弁慶ってやつだろうか。俺は柚菜の思いに答えた瞬間から柚菜にとっては他人ではなくなったから、意外なくらいするっと思っていることを口に出せるんじゃないだろうか。


「ホント、君は俺を何度殺すつもり?」

「えっ、変なこと言いましたか?」

「変じゃないよ。けど、想像をはるかに超えてるのは確か」

「想像を超えてるのは雅毅くんも一緒です。私の想像なんて全然届かないくらいすごいです」

「もういいよ。褒め合いは……仕事にならない」


 呆れてというよりは、これ以上褒められたら、勘違いしそうだった。俺ってすげー人間なんじゃねって。


 昼休みはそんなことで終わっていき、午後の授業を経て放課後になる。放課後になると、いよいよ今日の本番という感じだ。


 俺がいない間にたまり、今日また大量に発生したお金関連の仕事が出迎えてくれた。資材購入には、歴代の生徒会が付き合ってきた業者と話を進めなければいけないけど、会計係の桜庭先輩以外に話を通すとややこしくなりそうだったから、俺が最初から最後まで面倒を見てしまうことにした。

 なんせ、お金が発生することだ。本来は学校側が肩代わりしていく仕事なんだろうけど、そうすると今度は予算が削られたり、ひつひとつの購入資材に理由が必要になったり、ややこしくはないけれど面倒にはなる。

 だから、先に桜庭先輩や担任を味方につけ、金額の枠内であれば自分たちで決済できるようにしていた。

 自分たちで、ということは、責任が付いて回るということ。交渉から受け入れの段取り、使用後の保管場所の決定から所有者票の作成、貼付までやることはたくさんある。

 業者に電話するのは完全に俺の仕事。


「私、しゃべれません……」


 そう言ってその役から早々に降りたのは柚菜。美波さんには数字の仕事させる気? と逆に脅された。やりたくないと言ってるのではなく、やったら責任は取れないよ、という押し付けっぽい理屈で押し通す気なのだろう。

 別に俺だってそんなに電話に慣れているわけじゃないし、やりたくてやっているわけじゃない。けど、バイトで使い走りとしてあちこち走り回ったりお使いしたりしてきた経験は無駄にはなっていない。


「しゃべらなくてもいい仕事がいっぱいあるから覚悟しといて」


 柚菜にいう俺の一番の仕事は実はお金のことではなく、文化祭全体の資材が絡むことの段取りをつけて締切りを設け、それを守らせること。期限がないと人間は動かない動物だから、守れそうな程度の期限を設定し、それを軸に直前になったら警鐘を鳴らし、時間を迎えたら確認し、過ぎていたら催促。協力が必要なら協力して、それでもできないようならこっちでやってしまう、そういう割り振りをしていくこと。


 なんでも自分でやるのではなく、逆に自分以外の人間をどれだけ動かすかが重要になる。

 特に自分の体調にまだ自信がもてないから、徹底的に人を使っていくことを考えないと、また寝込んだりしたら周りにかける迷惑がすさまじいものになる。

 木嶋さんがよく言う、段取り8割。段取りさえできていれば、何も考えずに手足を動かしている内に、大方の仕事は片付く。


 この頃になると、企画を早く上げないと資材を貸せない。という最初からの声が浸透したようで、取り組みが遅いところでも出し物などの見通しが立ってきて、学校全体に文化祭を迎える雰囲気が出来上がってきていた。

 文化祭特有のざわざわした、期待と焦りに満ちたような空気。

 こういう空気は嫌いじゃない。


「今年はずいぶん盛り上がりがあるな」


 担任が言った。


「取り掛かりが早かったからかな、去年までとは雰囲気が違うな。ぎりぎりにならないと文化部以外の生徒はなかなか盛り上がらないもんだが、今回はクラス単位の盛り上がりがすごそうだ」

「そんなもんですか」


 去年の空気なんか知っているはずがないから、話は一方通行。


「私もこの雰囲気って好きだなぁ。みんなで寄ってたかって祭りを作っていく感じ、わくわくするよね」


 意外に素直な感想を口にしたのは美波さん。


「不健全だったり非合法だったりする騒ぎのテンションも嫌いじゃないけど、こういう健全なテンションの高さってのもいいよね」


 余計なことを付け加えてくれたけれど。


「お前たちの仕事が速いから助かるよ。校内の文化祭モードのスイッチを押してくれたようなもんだな」


 担任からの評価は俺たちにひどく高い。

 人に評価されたくて始めた仕事じゃないけど、やったことを評価されるのはやっぱり嬉しい。


「まだまだこれからが山場ですし、最悪のタイミングで倒れたりしないように気をつけます」


 俺がそういうと、両隣にいる美波さんと柚菜が同時に深くうなずいた。俺が倒れて、まず直撃を食うのはこの二人なのだから当然だ。




希乃咲穏仙 ( 2022/12/13(火) 21:06 )