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翌朝、見事に熱は上がっていた。そりゃそうだ。熱でダウンしている人間があんなに長話をして、しかも内容が今まで経験したことがないほど緊張を強いるものだったんだから当然っちゃ当然。
おかげで土曜はほとんど寝て過ごした。熱は最高で39℃を超え、さすがに座薬で熱を抑えることになった。
「ばーか」
妹の璃果は同情の欠片もなく、両親も微妙な表情を崩さない。
多分、かなりの勢いで聞きたかったに違いない。昨日の美人はなんだったのか、を。
別に教えないことはないけど、熱で寝込んでいる最中に自分からそんな話を触れる気にはならない。そして両親も寝込んでいる息子に聞く気にはなれなかったようで、汗だくになって苦しんでいる長男に触らぬ神に祟りなしの方向で進めているらしい。
だから、日曜になって熱はピークを超えたものの体調は全然戻っていない息子に別の女の子が見舞いにきたことで、両親の困惑はさらに大きくなっただろう。
「ごめんなさい。迷惑だとは思ったんですけど、来ちゃいました」
見舞いに来てくれたのは柚菜。
あらかじめ俺には連絡があったけど、親にまで詳しく伝える元気がなかったから、家族にとって柚菜の来訪は寝耳に水もいいところだった。友達が見舞いに来る、としか知らない。
「ちょっと、マサ兄ぃ。どうなってんの? 世界を滅ぼせたいの?」
何が家族を驚かせたかというと、美波さんという超絶美形の次に、タイプはまるで違うにしても明らかに俺の知り合いには不相応な美人が来てしまったことだろう。
失礼な話だけど、俺の家族はそういう面での俺の力量をまったく評価していない。いや、自分でも評価したことがないんだから仕方ない話ではあるんだけどな。
妹の案内で部屋に上がった柚菜は、璃果の『どうなってんの?』って言葉にかなりビビっているようだ。
「あの、私、来ても良かったんでしょうか?」
「気にするな。日曜だからな、まだ寝てんだろ?」
寝言だから気にするな、という意味で言ってみたけど、通じたかどうかは怪しい。
「大層なものを頂戴しまして」
オフクロが部屋に上がってきたのはその直後。柚菜のために紅茶とケーキが出されている。ケーキなんてものを常備しているはずがないから、これは今日の夫婦のおやつにと買っておいたものだろう。うちは両親とも甘い物に目がない。
「お気遣いなく」
しきりに恐縮している柚菜は手土産にそこそこ値が張るお菓子と果物を持ってきたらしい。
「病気の友達を見舞いに行くと言ったらいっぱい持たされて」
オフクロが下がってから、言い訳のように柚菜が言った。
「病気の友達って、女友達のつもりで聞いてるんだよね?」
俺が聞くと申し訳なさそうに柚菜が頷いた。
「お付き合いしてる彼がいます。なんてなかなか言い出せなくて……」
そりゃそうだろうな。柚菜と付き合う覚悟は決めたけど、あの過保護な親御さんにどう向き合うかは風邪じゃなくても頭が痛くなる。
「体のほうはどうですか?」
「熱は微熱まで下がってるけど、かなりダルいね。関節の痛みもまだ残ってるかな。でも、ウイルス感染は陰性だって連絡が来たから、明日は学校に行けると思うよ」
「とてもそうは見えません……」
柚菜が伏目がちに言う。よほど憔悴して見えたらしい。
「無理はしちゃだめです」
「無理はしないよ。無理してまで学校行きたいってほど学校大好きっ子じゃないし」
俺が答えると柚菜は何か言いたげにもぞもぞと組んだ手を膝の上で動かしている。
「なに?」
目を向けてみると、柚菜は耳まで赤くなりながら言った。
「雅毅くんに会えないの、淋しいです」
何を言ってやがる。俺はせっかく下がった熱がまた上がりそうになった。いや、絶対に上がったよな。
俺ががっくりしたように見えたのか、柚菜は慌てた。
「ウソです。雅毅くんが無理する方がずっとつらいです」
「いやいやいやいや」
俺は首を振る。
「どうしてこのタイミングでそうも可愛いことを言えちゃうかな……」
俺の言葉で柚菜がさらに赤くなる。
「なんかもうね、柚菜は殺し文句の宝庫だね。びっくりだよ」
「そ、そんなことないです……」
「今会ってるんだから淋しくないだろ、とかとっさに言えない俺もどうかと思うけど」
「言ってくれてますよ、それ……」
「もう一つに言うとさ、さっきの発言で熱上がったよ。どうしてくれるの」
「ごめんなさい、ごめんなさい」
「うそだよ」
やっばい。めちゃくちゃ楽しいよ。
「でも、来てくれて嬉しいよ。柚菜のお見舞いは予想外だったから」
「やっぱり、来ちゃいけせんでしたよね」
「マイナス思考禁止な」
「う……はい」
「俺の勝手な想像だけどね、なんか休日は家族一緒じゃないといけないとか、ご両親が知ってる子じゃないと遊びになんか出られない空気があったりとか?」
「何で知ってるんですか? お話しましたっけ?」
柚菜が驚いている。
いやいや、俺の方が驚いてるよ。冗談で、しかもかなり大袈裟に言ったつもりだったんだけど、マジなの?
「雅毅くんって本当にエスパーみたいになんでもわかっちゃうんですね」
柚菜が目をキラキラさせて俺を見ている。
「いやぁ、まぁ、ねぇ」
褒められる場面なのかどうか。お付き合いの先が思いやられる話ではある。
その後、少しの間話していた柚菜が急に背を伸ばして宣告した。
「さ、寝てくださいね」
「へ?」
「へ、じゃないです。寝るんです」
勢いよく俺の枕元に座り直した柚菜は枕をポンポンと叩いた。
「風邪は寝て治すものです。私と話し込んでちゃダメです」
珍しくキリっとした顔をしている。どうやら、これがやりたくてわざわざ俺の家まで来たらしい。
病気の彼を寝かしつける彼女の役。
隣でそんなに張り切られたら寝付けないと思うんだけどな、と思いつつ、そんな仕草も可愛いと思ってしまった俺はただの馬鹿なんだろう。馬鹿はされるがままになってしまえ。
「はいはい、わかりましたよ」
しょぼんとした振りをし、俺はもぞもぞと布団に入り直した。柚菜はその『しょぼん』が非常に気になったらしいけど、それが俺のネタ振りなのかどうか判断に迷った挙句、当初の見込み通り進めていくことにしたらしい。
「苦しくなったらいって下さいね。まだしばらく、そばにいますから」
そう言いながら、昨日の夜、あまりの気持ち悪さに無理を押して洗い、とりあえずは乾かしたけど大爆発している俺の髪を優しく撫でてくれた。
そうか、これがしたかったんだな。
薄目を開けて様子を伺うとこっちまで嬉しくなるくらい、油断しまくった顔で柚菜が喜んでいた。