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どう考えても素行が悪い先輩方や、不良と呼ばれることに何の違和感も持たない人々と付き合っていると、嫌でもこんな時の対処法を知ることになる。頭に血が上っていても、その知識は出てきた。
「ふざけるな!」
本気で相手を脅すときは低い声。喧嘩を売るときはでかい声。
今出せる最大限の怒鳴り声が俺の口から出た。
男はまさかこんな展開になるなんて想像してなかったらしく、思わずさらに後退り、自分の車に寄りかかる姿勢になった。
ここで追い込むのはセオリーだった。余裕を与えてしまえば、相手を立ち直らせてしまう。
「美波さんはな、俺が好きな女のことで悩んでたのを察してくれただけだ。やましいことなんざ何もない」
一歩、さらに一歩と相手に詰め寄る。目は相手の目から絶対に外さない。
相手の顔がさっきまでの怒りの形相から、戸惑いと恐れの表情に変わりつつある。
さらに畳みかけた。頭に上った血が勢いを加速させる。
「第一、それが人に物を聞く態度なのかよ」
ついに距離はゼロに近くなった。のけぞるように車に寄りかかっている男にのしかかるように視線を下ろす。
「くだらない女乗せていきがってる割に礼儀も知らないんだな。土方舐めてっと怪我じゃすまないってこと、知らないわけじゃないだろうよ」
ポンと肩に手がかかったのはその瞬間だった。
「もういいだろ?」
苛立ちが最高潮に達していた俺が、睨みつけるように振り返ると、よく知っている顔があった。
「き、木嶋さん?」
何故か木嶋さんがいた。バイト先の社員さんであり、オヤジの友人であり、俺の喧嘩の師匠。いや、師事つもりはないか。
「お前が逞しくなったのは嬉しいがな、何も学校の近くで喧嘩することはないだろ。場所を考えるんだな」
視界の中にオヤジの姿もあった。
「で、お宅も喧嘩を売るなら相手を見てからにするんだな」
なにやら陰気な顔をした木嶋さんは俺の肩越しに男も見た。
「なんで……あなたが」
どうやら男は木嶋さんを知ってるらしい。
「ん〜?」
木嶋さんは目を細めるようにして相手を見た後、俺を押しのけるようにした。
俺はもう毒気を抜かれてしまっていたし、そもそも木嶋さん相手に怒りの発作を持続できるほど我も強くない。押されるままに横に移動した。
「なに? 知り合いか? 俺は知らんぞ?」
高校時代、その凶暴さから近隣の不良たちを恐怖のどん底に叩き落したという、伝説の不良。木嶋さんが知らなくても相手が知っているということは充分にあり得た。
現役時代から10年、多少横に広がったおかげで迫力は以前にも増している。現場で一緒に働いているとただの気のいい兄さんだけど、本気になったらどれだけ恐ろしい人なのか、不良上がりが多い同業者から数々の逸話を聞かされている身としては、むしろ迫られている相手に同情すら感じる。
「どうした?」
オヤジが苦笑しながら近付いてきた。
「なんかよくわかんない。いきなり脅された」
「俺にはお前が脅しているようにしか思えなかったけどな」
「流れ的にそうなっただけだよ」
「ま、お前が誰かを脅す根性は無いか」
「よくご存知で」
俺も苦笑い。もう苛立ちはきれいさっぱり消えていた。
「雅毅は俺の弟分だぞ? 大恩人の息子さんだぞ? 雅毅に因縁つけるってことは、俺に喧嘩売ってるってことか?」
すべてを疑問系で迫る木嶋さん。横顔がニヤけているように見えるけど、目も声もぜんぜん笑ってない。
怖すぎです。いやもうマジでちびりますって。
「何で木嶋さんも一緒なの?」
「あいつ以外は奥さんの実家にいるんだとさ。向こうの家の誰かが誕生日らしいんだけど、女だけで宴会するから来るなとか言われたらしい」
「ああ、それで……」
陰気な顔をしていた理由がわかった。愛娘にまで、パパは来ないでとか何とか言われてしょげていたに違いない。娘関係以外で陰気になることなんかまず考えられない人だ。
「恐ろしく暗い声で電話してくるから、理由聞いてみたら可哀想になってな。一人で飲みに行ってもつまらんだろうからうちに呼んだ」
「泊まり?」
「そうなるだろうな」
オヤジのどこがいいのやら。中肉中背でのほほんとしている顔しか記憶に残らないようなわが父を見つつ、木嶋さんはオヤジのどこに惚れてるんだろう、と不思議な気分になった。