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田舎の学校だからか、怖いお兄さんなんて掃いて捨てて燃やしてもまだ出てくるほどいる。それは何も校内だけの話じゃない。
一歩学校から出れば、女子を狙ってるのか、ただの暇つぶしなのか、車でその辺りを徘徊している怖いお兄さん方の姿はそれほど珍しい光景ってわけでもない。
俺の場合、なぜかそういう筋かそれに近い先輩方との付き合いがあったり、そういう筋の先輩方が畏敬する方に可愛がられていたりと、本人の意思に関係なくそういう方々と顔見知りなケースが多かったりした。
バイト先でお世話になっている木嶋さんは現役の不良たちにとっては伝説的な存在らしい。今じゃただの子煩悩パパだけどさ。
そんな人に可愛がられているというだけで、俺は学校で生きやすかった。自分からは何もせず、単にオヤジの知り合いという縁だけでそんな風になってしまっている俺は、相当運がいいんだろう。
でも別に俺がそういう社会での有名人かというとそんなことは無い。同じ学校の先輩方の一部にもそんな奴もいるなという程度に覚えてもらっているだけの話。
「おい」
不意に声をかけられた時、俺は正門から100メートルほど離れたところにある石碑を見ていた。
静かだけど重い車のエンジンノイズに紛れた呼びかけに振り返ると、目の前には俺が10年分のバイト代を全額つぎ込んでも買えないであろう高級車と、左ハンドルゆえに声をかけやすいところに座っているドライバーのお兄さんがいた。
少なくとも見覚えのある人ではなかった。だから、俺は人違いかと思って周りを見たけど、残念なことに周辺には俺しかいなかった。
「お前だよ」
お兄さんは苛立つように言った。
「あ、俺ですか」
随分と間の抜けた声だっただろう。自分でも思ったくらいだから、相手には余計に気の抜けた声に聞こえたに違いない。
「お前、佐藤雅毅か?」
自分の名前を言われた瞬間、さすがに身の危険を感じた。普通、悪意でもなければ、わざわざ名前を確認しない。
違いますよ、とすっとぼけようとしたけど、それは即座に断念した。助手席に知った顔がいた。
忘れもしない。
美波さんと知り合ったばかりの頃、いきなり朝っぱらから人の目の前で指を突き立て、調子に乗るなと言い放ったあの女だ。
こりゃ面倒な目に遭いそうだな、といくら鈍い俺でも勘付かざるを得なかった。
この時の俺は明らかに機嫌が悪かった。
一日で色々仕事をこなして疲れていたし、何より傷が痛む。
徐々にイライラしてきてた、というのがこの時の俺。
「顔を借りるぞ」
運転席から、やや凄むような口調で言われた。普段の俺ならビビってすぐに従っていたと思う。
だけど、この時はそうはならなかった。
疲れて頭が働かなかったせいもあって、俺は鈍く返答しただけだった。
「はい?」
そんな返事が出たのには理由がある。
まず一つ目。相手が体格的に俺より線が細そうに見えたこと。男は無意識のうちに相手の肉体的な強さを測って自分と比較する生き物だ。
二つ目。男の態度がどう考えても俺に敵意むき出しだったこと。敵意を向けてくる相手に友好的になってやれるほど俺は平和主義者でもない。
そして、三つ目。美波さんとの仲を勝手に疑って人を潰そうとした女が隣にいたこと。そしてそのバカ女が意地悪そうな笑みを浮かべていたこと。
「何とぼけてんだ、ふざけんじゃねえぞ」
年は20代半ばというところか。大学生というにはちょっと世間ずれした感じがするが、高一のガキに喧嘩を売れる程度には若いらしい。
「はぁ」
俺はズキズキ痛む頭の傷を気にしつつ、気の抜けた返事を繰り返す。
それがますます相手の怒気を誘ったようで、運転席のドアが開いた。どうやら降りてくる気らしい。
「ちょっとー、やり過ぎないように気をつけてよー」
車中から癇に障る声がした。降りてくる男のやる気満々な姿といい、物騒この上ない。だけど、俺は身動き一つ取らなかった。
それは多分、怪我人の癖にこの時の俺は迎え撃つ気満々だったからだろう。
「返答によっちゃただじゃすまさねぇ。覚悟して答えろよ」
男は俺を下から突き上げるような目で睨みつけた。身長は175センチくらいか。俺より少し低い。体格は俺とどっこいどっこいという感じに見える。
「はぁ」
もうまともに答える気もなかったから、いい加減に声を出した。
「お前、梅澤美波とはどういう関係だ」
意外な名前とは思わなかった。助手席で余裕かましてるバカ女は、美波さんがらみででしか記憶に残っていない。むしろその名前が出てきて当然という気がしていた。
「はい?」
刺激するだろうな、とわかっていても、イライラが募っていたから、そういう返事にしかならない。
「答えろ!」
相手が凄んだ。ちょっと肩を揺らせば触れそうなくらいに近付いている。脅し合い、虚勢の張り合いに慣れた人種の動作だと思った。
「どうって、先輩後輩の関係ですけど」
「それにしちゃあ、随分なれなれしくしてるそうじゃねえか」
「そう見えます?」
「とぼけてんじゃねぇぞ、美波とお前が日曜に会ってるのを見た奴がいるんだよ」
あぁ、と思った。やっぱり、見られてたんだと。
あの時は柚菜のことしか頭になかったけど、それ以外にも気にすべき人がいたらしい。
その思考が顔に出たのか男は低い声で言った。
「心当たり、あるみたいじゃねぇか……」
「まさかとは思うけどさ」
俺は男の言葉にかぶせるように大きな声を出した。
現場で鍛えたというか、鍛えないと引っぱたかれるから鍛えた声は、重機の轟音にかき消されない程度には大きくないと意味がない。車のアイドリング音程度じゃ俺の声は少しも覆えない。
思わぬ大声に男の姿勢がぐらつき、半歩後ろに下がった。
「あんた、美波さんの恋人じゃないよな?」
そうでないことを祈るくらいの感じで言ってみたけど、男は俺の言葉に一度息を飲んだ。
「美波のことを馴れ馴れしく名前で呼ぶんじゃねぇよ」
更に凄んできた。
俺はいい加減頭に血が上っていたから、明らかに自分より強そうな相手でもない限り、中途半端な脅しはかえってイラつきに火を注ぐだけ。
「なんで名前も知らないような奴に」
俺はぐっと顎を上げ、思い切り相手を見下した。同時に一歩踏み出す。
「んなこと言われなきゃいけないんだ?」
男は異常に強気な俺の態度に気圧されたらしく、さらに二歩引いた。