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資材申請が早くも行われ、教室内を区切るパーテーションとして使う大きなベニヤ板が貸し出されることになった。
クラスの担当者と俺が生徒会室の隣にある資材置き場からベニヤ板を運び出し、さらにそれを支える足になる金属板を取り出そうとしている時、それは起こった。
まだ資材置き場には物があふれていて、これを数えるのに俺たち3人は死ぬ思いをしたわけだけど、それらのうち必要なものだけを取り出そうとするとちょっと無理があった。
「あれを出して、ここをこう移動すれば出せるんじゃないか?」
などとパズルゲームのような資材出しが必要になる。
それをやってるうちに、誰が置いたかは分からないけど、明らかに資材出しの動線上にペンキが入った小さな缶が置かれていた。
看板用のベニヤ板を出すべく、俺とクラス担当とが一緒に板を持ち上げ、移動を開始した時、不運な彼はそのペンキの缶に脚をとられた。
転ばないように踏ん張った彼は、板に思いっきり体重をかけてしまった。その片方を持っていた俺に当然ながら思いっきり加重がかかる。
クラス担当の驚きの声は聞こえたけど、何が起きたかまではわからない。突然、かかってきた妙な加重に俺は耐え切れなかった。そのまま後ろに倒れそうになった。
そのままじゃマズイと判断した俺は何も考えずにその板を手離していた。気付いた時には俺は尻餅をついていた。
そこまでは、良かった。悪かったのは、その板から俺の支えが消えたことで、クラス担当が派手にバランスを崩したことだった。
その動きのおかげで板が資材置き場の蛍光灯とその陶器製の傘を割ってしまった。
丁度、それらは俺の頭の真上。
ガラス片は飛び散り、大きなガラスの割れる音と共に近くにいた女子の悲鳴が響き渡った。
「そんな叫ばんでも……」
そう思ったけど、その叫び声は大きな音に驚いたからじゃないと気付くまで、少々時間がかかった。
「ちょ、おい、佐藤。お前、大丈夫かよ」
「え? まぁ、ケツは痛いけど」
「いや、そうじゃなくてさ」
「ん?」
本当に分かってなかったのだけど、次の瞬間、質問の意味が理解できた。
落ちているガラス片で手を切らないように気をつけながら立ち上がった俺は目に何かが入ってきて驚いた。思わず何かが入った右目を閉じ、下を向いて目に手を当て、そして開いている左目に写る光景を見て、すべてを悟った。
血痕があった。それも新しく新鮮な血痕が。
更に言えば、それは増えていた。ポタポタと俺の頭から落ちていた。
「あー……なるほど、こりゃ大丈夫には見えないな」
こんな時、本人は意外に冷静になる。周りの方が大騒ぎしていた。
「いや、頭は血が出やすいだけだから、大丈夫だよ」
俺がそう言ったところで、誰も聞いちゃいない。
「保健室! 保健室!」
「タンカ! タンカ!」
「救急車! 救急車!」
「先生呼べ! 先生呼べ!」
こういう時ってさ、何故か短い言葉を2回繰り返すよな。あれってなんなんだろうな、不思議だよな。
「いや、そんな大袈裟な……自分で保健室行くから大丈夫だって」
「いやああああああ」
「怪我してない奴が叫ぶんじゃないよ、うるさいな」
多分、場の雰囲気に呑まれて叫ばずにいられなかったらしい女子に思わず突っ込んだりもしたけれど、本当にこの場面で冷静でいたのは俺だけだった。
これ以上パニックが拡がっても仕方ないだけなので俺はその場にいる全員を見捨てて、とっとと保健室に向かうことにした。
後片付けなんぞ知らん。
血痕? それも誰かが拭いとけ。
そんなタイミング、まさに絶妙なタイミングで現れたのが、我が愛する彼女だった。
血だらけで歩いてくる俺の姿を、ちょうど別の仕事が終わって手伝いに来たらしい柚菜が見つけた。
最初は眼鏡の奥の目と口をまん丸にし、出そうになった悲鳴をとっさに堪え、駆け寄って抱きつこうとした。
それを俺は目で止めた。今抱きつかれたら、柚菜の制服まで血だらけになる。