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お姉さま’Sとの一件があり、急いで弁当を持って待ち合わせ場所の校庭近くの芝生に行くと、柚菜は小さな弁当箱を膝の上に載せて、ちょこんと座って待っていた。
きっと着いたばかりのはずなのに、何時間も健気に待っていました的な雰囲気を感じるのは、柚菜がそういう空気感を身に纏っているからか、俺が負い目のようなものを感じているからなのか、謎だ。
俺が着くと柚菜はわずかに笑顔を見せ、それから俯いた。まださっかの件を引きずっているのか、単に照れているだけなのかを判断するには、まだ柚菜のことを理解出来てない。
「ごめん、待たせたね。俺も腹減ったし、さっさと食べちゃおう」
肩と肩が触れ合うくらいに近付いて座ると柚菜の体がぴくんと揺れた。
本当にこの娘は俺のことが好きなんだよね?
大丈夫だよね?
自信持っていいんだよね?
俺の中の葛藤に柚菜が気付くはずもなく、気付かれたらそれはそれで怖いんだけどさ。
柚菜は明らかに緊張した様子で弁当を開けている。
ここでいきなり自分の不安を説明しだすのもなんなので、俺は仕方なしに弁当を開けた。
「……ごめんなさい」
箸を出して京水菜のおひたしに手をつけようとしていた俺に柚菜がいきなり謝った。
今度は何でしょう。
思いっきり不安になりながら俺が柚菜を見ると、至近距離で俯いていた柚菜がぼそぼそと喋る。
「……本当は雅毅くんのお弁当を作ってきたかったんですけど、昨日の夜はもう下ごしらえもできなかったし、今朝はちょっと寝過ごしちゃって……」
柚菜は肩を震わせている。
「いやいや、別に俺が頼んでたならともかく、謝ることじゃないでしょ」
なぜ震える。泣かれちゃったりしてもまだ俺の手には負えないんですけど。
俺なひどく動揺していたのが伝わったかどうかは分からないけど、柚菜が顔を上げた。
「昨夜、すごくうれしかったから……何かしたかったんです、でもできなくて悔しくて」
珍しく俺の目を見てそう言った柚菜の顔は泣いているような、微笑んでいるような、微妙な顔だった。
俺のせいっちゃ俺のせい。でも俺のせいじゃないってことがわかってほっとした。
「あぁ、その気持ちだけでも嬉しいよ」
思わず柚菜の頭を撫でていた。しまった、と思ったのは髪に手が触れてから。つい、機嫌が微妙な時の妹や従姉妹らをあやす場合の癖が出てしまった。
一度触れてすぐに手を引っ込めたらなおさら傷つくかと思った俺は、反射的に引っ込めようとした手を強引にそのままにし、撫で続けることにした。
「そんな風に考えてくれてたのに、いきなりあの光景を見りゃそりゃ逃げ出したくなるのはわかるけど」
思わず撫でてしまったのをフォローしようとし、俺は自分から派手に地雷原に踏み込んでいた。もちろん、これに気付いたのも口にした後にだ。
バカか俺は!
なぜ蒸し返す!
内心絶叫しつつも、踏み込んでしまった以上、抜け出すにはひとつしか手がないこともわかっていた。そう、方向だけは間違わず、突っ走るしかない。
どうせ、いずれ触れなければならなかった話題。タイミング的にどうかとは思うが、こうなってしまえば行くしかない。
「あの人たちは美波さんの友達なんだよ。彼女のいない俺を面白がってからかっていただけ。柚菜のこと説明したらあっさり引き下がってくれたよ。だから大丈夫。美波さんが友達にしてるくらいなんだから、わかるだろ?」
じっと身を固くして頭を撫でられている柚菜の顔は見えない。でも、多分嫌がられていないことだけは何となくわかる。
頭を撫でられていて、身を縮めていたら十中八九嫌がってる証拠。でも、身を縮めつつも手の動きに合わせて頭が揺れるようなら大丈夫。これも妹や従姉妹らとの経験から学んだこと。
「柚菜はもっと自信持っていいと思うよ」
そう言いつつ、俺は手を止めた。ちょうど柚菜の首辺りに手を当てている。
柚菜がゆっくりと顔を上げ、俺を見る。頬が上気しているのがわかる。耳も赤い。色が白いから、赤くなるとすぐにわかる。
「生まれて初めて俺が好きになった相手なんだ。大丈夫。柚菜しか見てないよ」
よくこんな恥ずかしいことを平気な顔して言えたもんだ。どうも必死になるとクサイ言葉でも平気で言えてしまう面があるらしい。
言われた方の柚菜は眼鏡越しにも目が潤んでいるのがわかった。もともと潤んでいたのか、今潤んだのかはわからないけど、それがものすごく愛しく思えたのは確か。
「……」
柚菜はしばらく何か言いたそうにしていたけど、何も言わないまま、すっと視線を切った。そして、そのまま俺にもたれかかってきた。
おっと、これはお許しが出たってことか?
胸に柚菜の重さがかかり、髪からはコンディショナーと柚菜自身の香りが混じったものが鼻にかかり、俺は陶然とした。
こいつぁ堪んねぇな。