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柚菜の家から歩いて約3分。学校からだと歩いて10分もかからない場所にある小さな公園。滑り台と砂場と鉄棒があって、北側には一本の大きな桜の木。その近くにベンチが設置されている。
「寒くない? 大丈夫?」
座った直後に柚菜に尋ねる。ちょうど隣に座りかけていた柚菜は首をふるふると横に振った。俺がベンチのほぼ真ん中に座ったのに、柚菜は端にちょこんと腰掛け、俺との間にトートバッグを置いている。
いい加減泣くぞこのやろう。
「で、さ」
俺はちょっと間を置いてから口を開く。視線は前。隣に座る柚菜の姿はほとんど見えない。
何をどう喋ればいいんだろうかとここに来るまでは色々と考えていた。
でも、実際にこうして一緒に座っていると、考えてたのが馬鹿馬鹿しく感じる自分がいる。
告白してきて、前よりよそよそしくなるってどうなんだよ、という怒りにも似た感情がある一方、自分が相手を好きな気持ちが相手にとって迷惑だったらどうしよう、と考え過ぎた結果そうなってしまっているのだとしたら、それって相当可愛いよな、などと考えている自分もいる。
考えてきた言葉は捨ててしまおう。今の気持ちをぶつけて、柚菜に任せればいいじゃないか。
「君が俺とのこと、どうしたいかってのは、よくわかんないけど」
視界の端の柚菜がピクンと体を固くした様子が入ってくる。けど、今は放置。
「今日だって、やたら壁を作られている気もするし、正直、こうして会ってるの今も、実は重荷だったりするのかな、とか考えたりもするしね」
柚菜は慌てたように俺を見て首を振っているのが目の端に見えた。けど、まだそっちは向かない。言いたいことを言ってしまうのが先。
「でも……ま、俺も恋愛経験とかあるわけじゃないし、自分が告白した立場だったら、相手が回答して来てくれてないのにどう振舞えばいいのかとか、多分思いつかないだろうからさ」
持っていたペットボトルを柚菜とは反対側の右側に置く。
「だから気持ちだけは伝えとくね。俺、柚菜が好きだよ」
さらりと。こんなに簡単に出ていいもんなのかなと思うくらいさらりと出た『好き』という言葉。
それから俺はやっと柚菜を見た。柚菜はベンチに浅く腰かけ、ピンと上半身を伸ばしている。手は脚の上に揃えてぎゅっと握って、斜めに向けた体から俺をまっすぐに見つめていた。
眼鏡の奥の瞳が丸くなっていて、コンタクトなら間違いなく外れている。いつもはきゅっと閉じられている唇は半開きになっている。
要するに柚菜は呆然としていた。
「……と、言っても信じられないかな」
そんなに驚かれるとは思っていなかったから、こっちまで驚いた。
俺が付け足すように言うと、柚菜は口をパクパクさせた。
「ん?」
何が言いたいのかまでは分からないけど、少なくとも酸素が足りなくてパクパクしているわけじゃないのは分かる。柚菜の言葉を促そうと首をかしげて見せる。
そうしたら、柚菜まで首をかしげた。
「いや、そうじゃなくてさ」
思わず突っ込んでしまった。
それで呪縛が解かれたのか、あるいは喉の奥にあった形のない障害物が取れたのか、柚菜は大きく頭を振ると、自分が置いたトートバッグを邪魔とばかりに膝の上に乗せ変え、乗り出すようにしてきた。
「し、信じて、信じていいですか?」
可聴範囲スレスレの細い声で、乗り出すようにといってもひどく控えめ言った。ついでに、大きく首を振ったせいで眼鏡もずれている。それを直す気になれないくらい、柚菜は俺に集中していた。
一途な目って、こういう目のことをいうんだろうな、なんて思った。うす暗い街灯の光しか届かないベンチの上で柚菜の瞳の底から光が湧き出しているように見える。
「信じてくれなきゃさ……」
妙に眼鏡のズレが気になって、言いながら、俺はにやけていたと思う。好意的に見れば優しい微笑み、悪意に取ればだらしない顔。
左手は自然に伸びていた。
じっと俺を見ている柚菜の顔の横から、そっと手を近付け、眼鏡のつるに触れる。
「……この距離が縮まんないよ」
すっと眼鏡が定位置に戻る。
「俺も好きでいていい?」
ゆっくりと手を戻しながら言う。柚菜が視線を俺の目から外さずに両手を上げ、離れようとする俺の左手に触れた。そのまま壊れ物を包み込むようにする。
「……」
無言で右手を外し、眼鏡をトートバッグの中に落とし、左手で俺の手を導いて頬に当てた。
再び両手が俺の手を包み、手には柚菜の頬の体温としっとりした感覚が伝わってくる。
頬に当てた手を慈しむように、柚菜が囁いた。
「……ありがとう」
閉じた柚菜の目から涙がこぼれる。
「柚菜のこと。泣かせてばっかだね」
喫茶店でのことを思い出して俺が言うと、柚菜は目を閉じたまま、ふっと笑う。
「泣いてばかりです」
こっちの胸が音をたててしまいそうなほど、幸せそうな顔だった。
もう、遠慮も何も無かった。
気が付けば、俺は柚菜を抱きしめていた。
こんなに繊細な生き物をどう扱っていいかは分かってないから、恐る恐る肩を引き寄せて両腕で包む程度に。
柚菜は両手を俺の胸に付け、額は首筋に押し当てるようにしていた。
腕の中の細い肩も、胸元に感じる息も、いつの間にか当たっている膝も、そのどれもが俺の全身をしびれさせる凶器だった。
右手で髪を撫でる。
「……もう、変に距離取ったりしないでね。あれ地味に寂しいから」
本音が自然に出てた。胸で柚菜が頷いた。伝わってくる息遣いで、苦笑しているのがわかった。
「でも、難しいかもしれません。雅毅くんを前にするとどうしても緊張しちゃうから」
囁きが甘く耳と心をくすぐる。
「そうなの?」
「はい」
「どうして?」
「……」
少しの沈黙の後、柚菜は顔を上げた。
至近距離で視線と視線がぶつかる。
「どうしようもないほどに好きだからです」
そう言って目を閉じた柚菜の顔を、いつまでも眺めるような愚かな真似はさすがにしなかった。
その3秒後、俺は生まれて初めての経験をした。