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さらにその翌日、3人で埃にまみれながら、文化祭用の備品チェックを行ったわけだ。
「ねぇ、これ終わんないじゃないの?」
そんな美波さんの苦情は聞き流しつつ作業を続ける。
チェックが終わり、片付け直しの作業が終わったのが午後の8時過ぎ。
「あり得ねー……」
美波さんは完全にへばっている。あまり体力は無いらしい。もう減らず口も叩けません、という顔で生徒会室の長い机の上に寝転んでいる。
柚菜の方も手を洗って生徒会室に戻ってきたときには、表情が完全に失われていた。本気で疲れると、顔の筋肉まで疲れ果てるってのは本当らしい。
倉庫代わりの部屋の鍵を閉め、生徒会室に戻って備品リストを完成させた俺が顔を上げると、机の上に仰向けになっている美波さんも、椅子に座り込んでぐったりしている柚菜も、頼りなさ気な蛍光灯の明かりの下で、疲労という字を全身に纏ったみたいにどんよりとした雰囲気の中に沈みこんでいた。
美波さんの脚線美をそれとなく眺めながら、なんかエロイよなあ、などと不埒なことを考えていた。そんな視線に気付かれるのは死んでも阻止しなければ、という念に背を押され、声を発した。
「さ、帰りましょう。今日も一日お疲れ様でした」
柚菜が顔を上げる。意識が戻ってきたという顔で目を二、三度しばたかせ、無表情なまま俺を見る。
美波さんは無言のままだるそうに体を起こし、髪をかき上げた。半分寝ていたようで、目が淀んでいる。
「……あぁ、お疲れさん」
声まで淀んでる。
意外なことに、この人はよく働いた。愚痴りつつ、八つ当たりしつつ、見た目からして明らかに体力の無い柚菜の分まで働いてくれた。
体力面では二人とは比較にならない俺も自分ではよく働いたつもりだったけど、体力の無さを考えれば、美波さんも、そして生真面目が服を着て歩いているような柚菜も、きっと俺以上に働いていた。
「……今日もラーメン行きます?」
疲れはしても、二人ほど体力が無いわけでもなく、バイトで重労働を当たり前にしてれば備品チェックなんて大した作業でもない俺は平気だった。
だから何気なく自分の空腹を基にそう言ってみた。
「……吐くぞこのヤロウ」
「私も今日はちょっと……」
見事にフラれてしまった。疲れすぎて食欲なんか微塵も出ないらしい。
「なら、真っ直ぐ帰りますか。そろそろ鍵閉めないと、職員室も閉まっちゃいそうですし」
生徒会室の鍵は職員管理だからそろそろ返さないと苦情が出る。文化祭間近になればともかく、この時期から遅くなってもいい顔はされない。
「いいよ、今日はもうここで寝るから」
美波さんがまた寝転びやがった。
「んなわけにゃ行かんでしょうよ。帰りますよ」
付き合ってると調子に乗る、という気配がびんびんに伝わってきたから、俺は冷めた口調で返しながら立ち上がった。柚菜もしんどそうに立ち上がった。
「大丈夫? 一人で帰れる?」
ふらふらしながら鞄を持つ柚菜に尋ねると、珍しく眼鏡の奥で微笑んだ。
「大丈夫、心配いりません」
どう見ても大丈夫な顔じゃないけど、この子も家は近い。自転車で10分の俺よりさらに近いし、電話すりゃすっ飛んでくる家族もいる。
「なんなら親呼んどきなよ。余計なお世話かもだけど」
なぜそれを知っているかと言うと、この前のラーメンを食べた時、帰りが遅い娘を心配して電話をかけてきた柚菜の親父さんが俺たちが食べ終わって店を出た頃に、近所だというのに車をかっ飛ばして駆けつけたからだ。
完璧な良家の子女モードの美波さんが華麗なご挨拶で親父さんに事情を説明してくれたおかげで、親父さんはすごく安心していた。
その後ろで俺が噴き出しそうなのを必死で堪えていたことは内緒。ついでに、柚菜が帰った後、思いっきり右太ももを蹴られて悶絶したのも内緒。そして、実はその痣が今もくっきり残っているのはマジで内緒だ。
「大丈夫ですよ。ちゃんと歩いて帰れますから」
そう言いながら、柚菜は扉を開ける。俺もそれに続きながら、顔だけ振り向いた。
「美波さん、帰りますよ。本気で泊まる気なら、鍵閉めちゃいますから、先にトイレだけでも済ませといたほうがいいですよ」
そこそこ酷いことをしれっと言った。
「ちょっとー」
美波さんは完全にむくれた顔でのそのそと起き上がる。
「私の扱い違くない? 柚菜との差はなんなわけ?」
「……手や脚が出てくる人と、そうでない人の違いですかね。この前のあれ、痛かったなー」
「あれはまーくんが悪かったんでしょーが」
だるそうに机から下りると、髪を揺らしながら首をひねらせ、いかにも肩がこっていますという顔をした。
「とにかく、今日はお疲れ様でした。助かりましたよ。ありがとうございます」
あまり長くこの人と舌戦が出来るほど上等な人間でもない自覚くらいはあるので、俺は軽く頭を下げて、あいさつした。
美波さんは鞄を持って、胸元をきわどく開けた姿で扉に向かってきながら、そんな俺を見て呟いた。
「別にあんたのためにやったわけじゃないし」
そりゃそうだ。
「あんたは平気そうね。私たち散々こき使っといて」
憎まれ口も疲れているからか、ニヤニヤしている顔もあまり明るくない。
「以後、こき使わないように善処します」
「すげーやな感じなんだけど、政治家みたいで」
「そりゃ失敬、とりあえず出ましょうよ」
美波さんをエスコートするように扉を出て、さっさと生徒会室を閉めてしまう。
「じゃ、これ返してから帰りますね。お疲れ様でした」
カチャカチャと鍵を振って、さっさと歩き出した。