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生徒会のやる気が無くても校内の文化祭の熱そのものは高かった。
何か出し物を準備しているクラスは当然盛り上がるし、文化部はここが活躍の場とばかりに気合が入っている。部活以外にもバンドやアカペラグループも舞台が準備されていたから当然の盛り上がりだったし、早くから看板などが作られ始めていたから、ビジュアル的にも文化祭の雰囲気が出来始めていた。
盛り上がる雰囲気の中、催行者であるはずの生徒会だけがむしろ孤立していたと言ってよかった。
それが変わった。
生徒会長が失脚、代わって梅澤美波というこの学校の顔ともいうべき女が新たにトップに就いたという話題は翌朝には校内を駆け巡っていた。
いくらなんでも知名度で俺が美波さんに及ぶはずもなく、クーデターの主要人物は美波さん、会長、桜庭先輩ということになっていたけど、美波さんまで陥れてこの事態を作った黒幕が俺だ、という話はまことしやかに流れていた。もともと、美波さんもクーデターの計画段階から中心人物だったという話は当然極秘だったから、俺には黒い噂が立つことになった。
腹黒い生意気な下級生に仕組まれたものの、最後には自ら文化祭を背負って立つことを決めた学校のアイドル。
そのアイドルを陥れ、会長を失脚に追い込んだ学校の悪のフィクサー。
「フィクサーねぇ……お前が?」
光は感心した様に呟いた。
「どうせあれだろ? 上にやる気が無いもんだから、ぶち切れて文句いってる内に引っ込みかつかなくなったんだろ?」
俺を実際に知っている人間はそういう評価になるらしい。
「薮内先生やら校長に話を通すとか大法螺だろ?」
「まあね」
俺は笑ってとぼけたけど薮内先生には話が通っていたし、こんな大事になるんだから、校長にも話を通していたはず。大法螺どころか、まったくの事実だ。でも言わない。言えるはずがない。
「でもさ、梅澤先輩を立てるのはいいけど、後が怖いんじゃないの?」
そんな風に聞いてくるクラスメイトもいた。
「罠にはめて引き受けさせちゃったんでしょ? 報復とかさ」
「大丈夫だよ」
一応、弁護はしておく。
「あの人はさ、自分で引き受けたことの責任を他人に被せる真似はしないよ。どんな形でも、あの人自身が受けると言ってくれた。それで俺に報復とか、そんなちっちゃい人じゃないよ」
それに、あのクーデター計画の立案者の一人なわけだしさ。
「さすが梅澤先輩」
納得したのか、クラスメイトたちは感心したように呟いていた。
あのクーデター計画を最初に言い出した柚菜との廊下での会話に続いての話し合いの場は例の喫茶店だった。なぜかあそこは密談がしやすい。
その話し合いの場で、俺は多分これが企画倒れになるだろうと踏んでいた。というのも、『文化祭でトップを張るのは美波さんしかいない』という発想から生まれたことなので、美波さんが上に立つことに首を縦に振らない限り成立しない。そして、美波さんがこれに乗ってくるなんて俺は想像もしていなかった。
「よくも、まあそういう……」
最初はさほど具体的な計画があったわけじゃない。けど生徒会執行部から根こそぎ権限を奪い去ってしまうクーデターという発想は美波さんを大いに呆れさせた。
「せっかく校内は盛り上がってるのに、その盛り上がりを生徒会が削ぐとかありえないじゃないですか?」
「その発想がありえないと思うわけよ、私は」
そんな話の流れから、美波さんが引き受けると断言するまで、わずか5分程度。
あまりの話の早さに、俺も柚菜もぽかんとした。
「……なによ」
「いや……まさかこんな簡単に引き受けてくれるとは思ってなかったんで」
「なに言ってんのよ、考えた張本人でしょ」
美波さんは飄々とした態度で甘いコーヒーに口をつけた。
「こんなこと思いついちゃいました。で終わるんじゃないかと」
「終わらせてどうすんの。この盛り上がりを大事にしたいんでしょ?」
「したいですよ、もちろん。俺だってこういうみんな一緒に熱くなるっていうの、好きですし」
「私だって好きだよ。上からの命令でやらされるのは嫌いだけど、みんなで一緒にって、結構好き」
「でもちょっと意外です」
柚菜が言った。
「私も美波さんはトップに立つとか絶対に引き受けないと思いました」
「うーん、ま、そりゃそうか」
「いや、なんで柚菜がいうと納得するんすか」
「自分の胸に聞いてみな」
美波さんがにやにやしながら言う。思い当たる節ならいくらでもあるから、反論せずに黙っておくことにした。
「私はさ」
美波さんはテーブルに肘を付いて俺と柚菜を見比べるようにして話し始めた。
「目立つことが好きなわけじゃないし、トップに立つとか柄じゃないからやりたくないの。でもね、やりたくないってのと、やるべきことってのを、一緒くたに考えられるほど馬鹿でもないつもり」
きれいな顔にさっきまでのにやけは消えていた。
「周りを見る限り、まともに文化祭回せそうな奴なんて、私らの3人組か、会計やってる先輩くらいしか見当たらないじゃん。会計の先輩もまーくんも、誰がトップに立っても仕事はばりばり出来るだろうけど、私は無理。私がトップ譲ってもいい、こいつの下なら働けるって思ったのは、まーくん、あんただけよ」
じっと目を見つめられながらそんなことを言われ、昨日の告白のドキドキがよみがえってきそうになった。慌ててその心の沸き立ちを抑え込む。
「そしたらさ、客観的に見て、私がやるべきことって、上に立っちゃうことだよね。まーくんは私の下がいいってこんな計画持ち込んでくるわけだし、先輩は流れ次第でどうとでも協力してくれるだろうし」
「……その通りだと思います」
「そう思ったから、まーくんも計画立てたんでしょ?」
「ええ」
「じゃあ、まだ仕事がしたいなって思ってる私としては、やることは一つなわけよ」
テーブルから肘を上げ、美波さんは背もたれに体を預ける。
「クーデターにでも何でも乗ってやるわ。上に立てっていうなら立つ。自分の役割からは逃げない。そういう生き方をしたいって、決めたから」
美波さんの口調は力強かった。
「それが大人ってもんでしょ?」
美波さんが微笑んで、俺はすべてを理解した。