第二章
8話
 かなりの自信作のようだ。黙々と食べ続けるあやめを横目で見ていたシュウジは、ふっと笑った。


「もっと落ち着いて食えよ。付いてる」


 あやめは一瞬何のことかと思ったが考える間もなく、シュウジはあやめの前に置かれているおしぼりを掴むと唇の左端に付いていたケーキのカスをふき取った。

 あやめは自分の顔が熱くなるのを感じた。シュウジはふき取った後のおしぼりを眺め、首を傾げた。


「あれ? 化粧してた? 悪い、口紅取れちまった」


 シュウジはべっとりと淡い桃色の付いたおしぼりをあやめに広げて見せた。あやめはますます顔が熱くなる気がした。

(なんで今日に限って口紅なんてする気になったんだろう? しかも、何のために?)

 マスターは苦笑いを浮かべてこちらを見ていた。うちの息子が失礼なことを…とでも言いたそうな瞳だ。あやめは俯いてしまった。


 恥ずかしかった。ケーキのカスのことではない。口紅のことでもない。何がどうして恥ずかしいのか、はっきりしなかった。シュウジは何もなかったかのように、またスマホを眺めてる。仕事関係なのか少し眉をしかめている。マスターは洗い終わった食器の水滴をごしごしと布巾でぬぐっている。

 誰もあやめのことなど特に構っている様子もなかった。それでも、あやめはどうしてか恥ずかしかった。よく冷えたカフェラテを飲む。冷たい液体が食道を通って、胃壁の表面を舐めていった。それでも、顔の熱は引いていきそうもなかった。



希乃咲穏仙 ( 2021/10/27(水) 00:58 )