6話
カランカランと久しぶりの音が鼓膜を震わす。あやめは一月前の喫茶店にまたやって来た。マスターに会いたかったし、もしかしたら、シュウジという男にも会えるかもしれないという気がしていた。
「いらっしゃい」
カウンターで何か書き物をしていたマスターが顔をあげる。久々のあやめの顔に大きな笑顔を作った。
「おや、お嬢ちゃん、久しぶりだねぇ。もう来てくれないんじゃないかと思ってたよ」
「こんにちは」
あやめも笑顔で答える。そして、カウンターの奥、窓辺の丸テーブルに目をやる。お客さんは他にいない。その仕草を見ていたマスターが言う。
「シュウジは仕事でね。日曜は休みになっているんだけど。急な取材らしくて、朝早くから出て行ったよ。最近多いんだ。休みなのに仕事が入ること」
一瞬、心の内を読まれた気がして、あやめは焦った。しかし、すぐに偶然そう言っただけだと思い直した。マスターが何にしましょうと聞いてきたので、あやめは前と同じくカフェラテを注文した。
「そう言えば、お嬢ちゃんの名前、聞いてなかったよね。聞いてもいい?」
マスターはカウンターの奥に一度引っ込めた顔を、また出して言った。
「あやめです。筒井あやめと言います」
「あやめちゃんね。うん、いい名前だね」
「マスターは? 何て名前なんですか」
コートを脱ぎながらあやめは聞いた。店内は路地裏にあるわりには日当たりも良く、今日は特に暖かかったから、どうも少し暑く感じた。あやめは目の前に置かれた、水入りのグラスを取り、一口含んだ。
「赤城修平です。修行の修に、平らっていう字」
おじさんは目尻に皺を寄せて笑った。四十代後半から、五十過ぎくらいといったところだろうか。あれだけ大きな息子がいるのだから、その辺りが妥当だろう。あやめはまた水を口に含んだ。別に喉が渇いているわけではなかった。何となく、手元が留守になるのが嫌な気がした。あやめは名前を聞いたからといって、名前で呼ぼうという気にはならなかった。もうあやめの中では、『マスター』ということで定着していた。
マスターはカフェラテをあやめの前に置いた。
「あ、アイスで良かったよね? ほら、今日は暖かいし」
「はい。ありがとうございます」
あやめはストローの袋を破り、カフェラテに立てた。その時、後ろでカランカランと鐘の音がした。