同じ色の空の下で - 4
信次 8
 主のいない部屋の片付けは思いの外に捗らなかった。

 漁師だった父は意外にも読書家で、部屋には本がたくさんあった。

 信次は無造作に積まれた古い本の中に一枚の写真が挟まれているのを見つけ手に取った。

 それは、家族が揃って写っている珍しい写真だった。何かの記念日のようだけれど、何の記念日なのかはわからない。


 気難しそうな父と控えめな笑顔の母。信次はちょうど今の颯汰くらいの年で、無邪気にカメラに向かって笑っている。そしてその後ろで、ふてくされたような態度の秀一がいた。

 信次は思わず写真の中の秀一を睨み付ける。



こいつのせいだ

こいつのせいで

沙耶香は……



「お、なんだ、いたのか?」


 突然、襖が開いて秀一の声が聞こえた。信次の心臓がぴくんと反応する。


「なんだこれ?」


 秀一は信次の持っていた写真を取り上げると、ふんと鼻で笑ってから、指で弾いた。


「親父、こんなもん、後生大事にしまいこんでやがったか」


 信次は畳に座ったまま、そんな秀一のことを見上げる。


「なんだ、何か文句でもあるのか?」


 秀一が睨むように信次を見下ろす。どこまでも信次の前に立ちはだかる秀一。

 信次が精いっぱいの反抗をしても、秀一と沙耶香が別れても、主の父が亡くなっても、その関係は結局変わることはない。

 秀一から視線を外し、両手を握り締める。



悔しかった

いつまでも俺は兄の下なんだ

どんなに頑張っても

どんなに強がっても




 秀一がふっと笑って、信次の前にしゃがみ込む。そして畳の上の本をぱらぱらとめくりながら、独り言のように口を開く。


「信次。お前、俺のこと最低なやつだと思ってるだろ?」



当たり前だろ

奥さんと子供がいるくせに

沙耶香にあんなことをして



「けどな、俺たちの親父だって、沙耶香の母親だって最低だろうが。こんな腐った町で、腐った人間に囲まれてりゃ、誰だってそうなるさ」

「……言い訳ばっかするなよ」


 呟くような信次の声に秀一が顔を向ける。


「だったら、自分だけはまともな人間になればいいじゃないか。何でも人のせいにして、何しても許されるなんて思うなよ」

「はん、だったらお前はどうなんだ? え? ビビッてばっかで何の行動も起こせなかったくせによ。自分がまともな人間だって、胸張って言えるのか?」

「俺は……俺は、あんたとは違う」

「同じだ。お前の頭ん中は沙耶香とやることしかねぇんだよ? 違うか?」

 
 唇を噛みしめ、秀一のことを睨み付ける。だけど反論できないのは、たぶん秀一の言った通りだからだ。

 勝ち誇ったような顔つきの秀一に信次はつぶやく。


「俺、この家出るから」

「はぁ?」

「沙耶香を連れて、この町を出る」


 一瞬驚いた顔をした秀一がすぐに声を上げて笑い出す。


「おもしれぇ。できるもんならやってみろ。てめぇみてえなガキがいなくなれば、こっちはせいせいするわ」


 そして立ち上がると、部屋の隅にある箪笥の引き出しから何かを取り出し、信次に投げ付けた。


「これ持ってどこへでも行っちまえ。親父がお前のために貯めた金だ」


 ふんっと鼻で笑って、秀一が部屋を出て行く。信次は手の中の通帳をじっと見つめる。

 見覚えのないその通帳には信次の名前が印字されていて、中にはわずかながらの金が、毎月同じ日にきちんと入金されていた。


「信ちゃん……」


 信次の背中に真佑の声がかかる。


「今更、こんなこと言っても、信じてもらえないだろうけど」


 真佑の声を聞きながら、信次はページをめくり続ける。


「あの人はあの人なりに、家族のことを考えてるつもりなの。信ちゃんのことだって……伝え方は、間違ってると思うけど」


 通帳の最後の日付は、つい最近だった。つまり父が病で倒れてからも、金は入金されていた。


「こんなこと……頼んでない」


 記帳された数字を睨み付けながら呟く。


 本当は信次もわかっていた。母が亡くなっても、父が寝たきりになっても、当たり前のように学校に行き、普通に暮らせたのは、秀一のおかげだったってことを。

 自分は秀一に養われ、守られていたってことを。


 すっと視線を移すと、畳の上にさっきの家族写真が落ちていた。




いつから

いつから

こんなふうになってしまったんだ


 
 秀一が、自分が、二人の関係が、少なくともこの写真の頃の自分は、秀一のことを憎んだりしていなかったはずだ。



『兄ちゃん、兄ちゃん』


 そう呼びながら秀一のあとを追いかけて回った。鬱陶しがられても、邪険にされても、それでもたった一人の兄だったから。


「信ちゃん」


 真佑が心配そうに呟く。どうしてだかあふれた涙が、通帳の上にぽたりと落ちる。



殺したいほど憎んでいる兄なのに

俺は今でもその背中を追っていた

ただ振り返ってもらいたくて

あの頃と同じ様に今まだ




鶉親方 ( 2020/07/01(水) 14:05 )