誠 7
 防波堤の上でスマホを耳に当て、誠は何度目かのコールを聞いていた。



出るわけないよな



 最低と吐き捨てた相手からの電話に柚菜が出るわけない。

 それでももう一度だけ話せるなら、柚菜にちゃんと伝えたかった。自分が間違っていたって気づいたことを。



今さら謝っても

どうにもならないのはわかってるけどな



 突然コール音が途切れて、懐かしい声が耳に響く。


『……もしもし』


 柚菜のちょっと掠れがちな声。

 誠の頭に午後の教室のけだるい授業風景が浮かぶ。


 英語教師に名前を呼ばれ、立ち上がる柚菜の背中を後ろの席からいつも見ていた。


 教科書を読む控えめな声。自分だけに見せてくれたはにかんだ笑顔。キスをする瞬間の目を閉じた表情。

 白くて柔らかい、肌の感触。



柚菜の全部が好きだった



『誠くん?』

「うん……」


 電話越しの柚菜の声に何も答えられない自分がいる。伝えなければならないことが、あるはずなのに。


『どうして……』


 柚菜の声が途切れがちに聞こえる。


『どうして電話なんてしてきたの?』

「もう一度、話したいって思って」

『私は話すことなんかない。もう切るから』


 はっと顔を上げて、電話の向こうの柚菜に言う。


「待って……切るな。柚菜」

『私の名前を呼ばないで!』


 耳元のスマホをぎゅっと握りしめる。


『誠くんに名前を呼ばれたら、付き合ってた時のことを思い出しちゃうでしょ? 私はもう忘れたいの。楽しかったことも、嬉しかったことも全部……思い出すと、もっとつらくなる』


 柚菜の声を聞きながら、こんな想いをさせているのは自分だと思った。


「ごめんな……柚菜」

『今さら謝ったりしないで』

「わかってる。謝ったって、どうにもならないって」

『だったらもう二度と、電話なんかしないで』


 深く息を吸い込んでから、それをゆっくりと吐き出す。潮の匂いが鼻先をかすめる。


「柚菜、オレさ……」


 目を閉じて柚菜の笑顔を思い出す。


「オレ、柚菜のこと、好きだった。本当に」



もっと

大切にしてあげればよかった

もっと

好きだって言っておけばよかった



 女の子から付き合ってと言われて、付き合ったことは何度もあったけど、誠から告白したのは柚菜が初めてだった。

 自分の前で莉奈が小さく頷いて、付き合い始めたあの日。

 二人で並んで歩いて、少しずつ相手のことを知っていった。

 初めて手をつないだ時は、馬鹿みたいにドキドキして、女の子とは、とっくにセックスだって経験済みだったくせに。



「大事にしてあげられなくて、ごめん。柚菜のことも……オレたちの……子供のことも」


 柚菜は何も言わなかった。その代わりに、震えるような吐息がかすかに聞こえる。



また柚菜を泣かせてしまった



「悪いのは……全部オレなんだ」


 晴れ渡った夏空の下、港を出て行く船が見えた。そんな光景を見つめながら、いつか聞いた沙耶香の言葉を思い出す。


――ここに立ってると、女の人の霊に引き込まれるのよ――



馬鹿馬鹿しいと思っていた

そんなふうに一途に人を愛するなんて

いつまでも未練たらしく相手のことを想っているなんて

それなのに今のオレは

ただの未練たらしい男じゃないのか?



『誠くん?』


 柚菜の掠れる声を聞きながら、ゆらゆらと揺れる水面を覗き込む。

 頭の上から降る、強い日差し。波が水面を揺らし、眩暈がしてくる。



ああ、そうか

ここに飛び込めば会えるんだ

死んでしまった

オレの子供に



『誠くん!』


 柚菜の声にはっとする。体がぐらりと揺れ、コンクリートの上に尻餅をつく。


「何やってんだよ」


 手に持っていたはずのスマホがない。まさかと思って海の中を覗き込むと、小さな波紋が波に流されていくところだった。


「マジかよ……」


 柚菜と自分をかすかに繋ぎ止めていた糸は海の中へ引き込まれ消えてしまった。



鶉親方 ( 2020/05/13(水) 15:19 )