同じ色の空の下で - 3
誠 6
 土曜日の朝。朝食を食べ終えると、祖母と信次を残し、誠はいそいそと出かける支度をした。


「どこ行くんだよ?」


 玄関先で信次に声をかけられる。

 沙耶香と出かけることを信次に言おうか迷ったけど、どこに行くのか聞かされていなかったし、言う必要もないと思いやめた。

 それになんとなく、言ってはいけないことのような気がした。


「別にどこでもいいだろ」


 そっけなく返して靴を履く。


「それより、いつまでこの家に居候してるつもりだよ? いい加減、家に帰れよな」

「あんたこそ」


 振り返って信次を見る。


「ばあちゃんが言ってたぞ? あんたの父さんもあんたも、ただの意地っ張りだって。お互い謝るところは謝って、一緒に暮らすのが一番いいのにって」

「余計なお世話だな。お前のそういう説教くさいところが、沙耶香も気に入らないんだよ」


 言ってから、まずかったかと後悔する。信次は何とも言えない複雑な表情でそこに立っていた。

 信次は沙耶香のことが好きで。沙耶香は信次の兄貴と付き合っていて。でも兄貴には奥さんも子供もいて。



オレがこいつの立場だったら

好きな子と自分の兄

どう接するんだろうな




「じゃ……オレ、行くから」


 それだけ言って、外へ出た。眩しい日差しが容赦なく頭の上から照りつけ、誠は忌々しそうに顔をしかめた。



 駅で待ち合わせした沙耶香は髪をばっさり短く切っていた。


「夏だからね」


 そう言って笑う沙耶香と一緒に電車に乗り込む。

 空席だらけのガランとした車内で、花柄のワンピースを着た沙耶香はどことなくはしゃいでいるようにも見えた。


「で、どこ行くんだよ?」


 三つ目の駅を過ぎた時、誠がやっと沙耶香に聞いた。

 四人掛けのボックス席の向かい側で窓の外を眺めていた沙耶香の動きが一瞬だけ止まった気がする。


「知りたい?」

「いい加減、教えてくれてもいいじゃない?」


 沙耶香が誠を見て、小さく微笑む。


「……病院に行きたいの」

「病院?」


 髪を揺らし、こくんと沙耶香が頷く。


「妊娠してるかもしれないの私」






 名前も知らない駅で電車を降りた。人気のない改札を抜け、寂れた駅前広場を突っ切り、住宅街の中を歩く。

 沙耶香は目的地がわかっているみたいで、前を向いてただ黙々と歩いていた。そんな沙耶香の一歩後ろを誠も黙ったままついて行く。

 夏の日差しがじりじりと照りつけ、額に汗が滲む。道の両側に生い茂る緑からは蝉の鳴き声が聞こえてくる。

 少し前を歩く沙耶香の小さな背中。



沙耶香は何を考えているのだろう




 緑の蔦が絡まる塀の前で沙耶香が立ち止る。そしてゆっくりと振り返って誠に言う。


「ありがとう。もうここでいいよ」


 木々の向こうに見えるのは、古い洋館のような二階建ての建物。入口についている小さな看板を見て、ここが産婦人科医院だということがわかった。


「この病院で私、産まれたの。もちろん覚えてないけどね」


 沙耶香がそう言ってほんの少し微笑む。


「中まで一緒に行くよ」

「大丈夫だって。嫌でしょ? こんな所に一緒に入るの」




お前だって、一人が怖いだろう?

だからオレを連れてきたんだろう?




「……知ってるのか? 相手は?」


 沙耶香がそっと視線を逸らす。


「もしできてたら……どうするつもりなんだよ?」

「決まってるでしょ? 産めるわけないもの」


 誠の胸にちくりと痛みが走る。


「一緒に来てもらってよかった。やっぱり一人は心細かったから。ありがとね、誠くん」


 沙耶香はそれだけ言うと背中を向け、小走りで建物の中へ消えていく。



 その背中が柚菜の背中とだぶって見え、誠は無性に息苦しさを覚えた。





 人通りもない駅前のベンチに座って、誠は沙耶香を待っていた。


 空から降り注ぐ熱い日差し。ねっとりと肌にまとわりつく空気。


 蝉の鳴き声だけがじわじわと耳に響き、一分一秒がとてつもなく長く感じられる。




 どのくらい待っただろうか。二、三時間のような気もするけれど、もしかしたらほんの三十分くらいだったのかもしれない。

 ベンチから立ち上がった誠に気がつくと、沙耶香は少し驚いた顔をしたあと、急いで駆け寄ってきた。


「待っててくれなくても、よかったのに」

「そういうわけにはいかないだろ?」


 沙耶香からは病院の匂いがした。誠が幼い頃からよく知っている匂いだ。ふと一瞬だけ、白衣を着た父の背中を思い出す。


「……どうだった?」


 誠の声に沙耶香は他人事のようにあっさりと答える。


「七週目だって。来週手術受けることにした」


 そして軽く微笑むと改札に向かって歩き出した。




 帰りの電車に揺られながら沙耶香は一言もしゃべろうとしなかった。

 そんな沙耶香に何と声をかければいいのかわからずに、誠もずっと黙っていた。

 窓の外に海が見える。晴れた海は空の青を映し、何もかもを呑み込んでしまうように深い。

 その時、誠の耳に沙耶香の消えそうな声が聞こえてきた。


「赤ちゃんのね……心臓、動いてたの」


 窓の外を眺めながら、誰にでもなく沙耶香が呟く。


「もう私のお腹の中で四十日も生きてるんだって」


 そう言った瞬間、沙耶香は海を見たまま右手で口元を覆った。その指先は小刻みに震えている。


「そんな赤ちゃんを、私が殺すの。私が……私の赤ちゃんを殺すの」

「違う。……沙耶香のせいだけじゃない」


 思わず誠は口を開いた。目の前で震えながら、自分を責めている沙耶香を黙って見てはいられなかった。


「相手の男に言えよ。一人が傷つくなんて、不公平だろ?」


 そう言いながら、そんなセリフを口にしている自分におかしくなった。



人の目ばかり気にして

自分の都合が良くなるように誤魔化して

柚菜一人を傷つけたのは

オレじゃないか

柚菜の身体の痛みも

心の痛みも

何ひとつわからなくて

わかろうともしていなかった


それなのに

沙耶香に偉そうなことを言っている

オレはとんでもない馬鹿だ




「ごめん」


 つい口を出た誠の言葉に沙耶香が潤んだ目を向ける。


「ごめん、ごめん……何やってんだ、オレ……」

「……誠くん?」


 頭を抱えた誠を沙耶香が見ている。


「殺したのは……オレだ」


 目の前にいる沙耶香の姿が、柚菜に変わる。柚菜は笑顔で両手を差し出し、夢の中のセリフを誠に言う。


――可愛いでしょう? 誠くんの子供なんだよ?――



「オレが殺したんだ。自分の子供を……」


 車内に駅名を告げるアナウンスが流れる。ぽつぽつと数人の乗客が立ち上がり、やがて沙耶香のかすれる声が聞こえてくる。


「もう、降りなきゃ」


 沙耶香がゆらりと立ち上がった。そして俯く誠の前に右手をそっと差し伸べる。

 誠が顔を上げると、無理して微笑んでいるような沙耶香の顔が涙でぼんやりとかすんで見えた。



■筆者メッセージ
えらい長くなってしまった。区切ろうと思えば区切れたんですけどね。ま、車内のシーンを描きたかったのもありますし。
鶉親方 ( 2020/04/23(木) 01:24 )