沙耶香 6
 空がうっすらと明るくなってきた頃、沙耶香は眠っている母親を横目に家を出た。

 坂道から見下ろす海に浮かぶ何艘かの船。無意識のうちに秀一の船を探していることに気づき、なんだかおかしくなる。


 昨日、秀一の奥さんの真佑、その息子の颯汰の姿を見かけた。

 雑貨屋から出てきた真佑のお腹はふっくらと丸く膨らんでいた。

 買い物袋をぶら下げ、手を繋ぎながら夕暮れの道を歩いて行く二人。これから家に帰るのだろう。そして秀一のため、夕飯の支度をするのだろう。

 そんなことを思いながら、背中にかかる真佑の長い髪を見送った。



 べったりとした風が吹く。そういえば昨日、梅雨明けしたというニュースで言っていた。薄暗いこの町に蒸し暑い夏がやってくる。


「髪……切ろう」


 肩まで伸びた髪を指先に絡める。赤茶けて、傷んでしまったこの髪が、彼女の黒髪にかなわないことを沙耶香は知っていた。

 いつもの防波堤のところまで歩いて立ち止る。ぼんやり海を眺めているその背中に声をかける。


「おはよっ」


 沙耶香の声に誠が振り向いた。


「おぉ……」

「ずいぶん早起きだね?」


 少し驚いた顔をしていた誠がふっと笑う。


「隣で寝てるヤツのいびきがうるさくてさ。なんとかなんねぇ? アレ」

「隣で寝てるヤツ?」

「冴嶋信次」



信次? 

どうして信次が?



「あいつさ、なんだか知らねぇけど、家出したらしくてさ。今、うちにいるんだよ」

「そう……なんだ」


 沙耶香の頭に、びしょ濡れになって自分を捜していたと言った信次の姿が浮かぶ。


 信次がいつも、気にかけてくれていることは知っていた。


 そして、多分、信次が自分を好きでいてくれているってことも。




 沙耶香は黙って誠の隣に座った。海から吹き付ける風が沙耶香の髪を揺らす。


「学校、サボってんだろ? そろそろちゃんと行けよ」


 海を見たまま誠が言った。沙耶香はもう何日も学校を無断で休んでいた。


「誠くんって、そういうこと言うんだ。なんか意外」

「意外って……どういう意味よ?」


 沙耶香も海を眺めながら、ふっと息を吐く。


「だって誠くんって……軽くて、いい加減で、すごく悪い人だと思ってたから」

「ずいぶんひどい男と思われてんだな、オレ」


 顔を見合わせて二人で笑った。



そう言えば

こんなふうに笑うの

久しぶりかも



「ねぇ、悪いことって、何したの?」


 笑い声が途切れた時、沙耶香がぽつりとつぶやいた。


「悪いことして、追い出されたんでしょ?」


 誠がまた、海に視線を移す。沙耶香はその横顔をぼんやりと眺める。


「彼女のこと……傷つけた」


 誠の声が耳に届く。


「取り返しのつかないほど、深く……彼女のこと、傷つけた」


 沙耶香は静かに目を閉じる。波の音が遠く、近く、聞こえてくる。


「私も……」
 

 誠がゆっくりと隣に座る沙耶香を見る。


「私も傷つけた。いろんな人を……それに、自分自身のことも……取り返しのつかないこと。しちゃった」


 雲が晴れ、夏空が顔を出す。きっと今日は暑くなる。



「ねぇ誠くん? 明日、暇?」

「オレはいつでも暇だけど?」

「一緒に付き合ってもらいたい所があるの。お願い」


 誠の前で両手を合わせ、沙耶香は微笑む。まるで、デートの約束でも持ちかけるかのように。



「いいよ。別に」


 少し不思議そうな顔のまま誠が答える。


「嬉しい。ありがとう」



 そう言いながら、自分の指先がおかしいほど震えていることに沙耶香はその時やっと気がついた。




■筆者メッセージ
あれですね。登場人物の名前表記をカタカナにすると一気にIWGP感が出ますね。


ななし丸さん
基本的には、地の文、会話文間は2行、会話文間は1行、モノローグ前後は3行の改行をしようと思ってます。改行が少ないと読み難いかなと思いまして。


また、お願いします。
鶉親方 ( 2020/04/19(日) 21:07 )