信次 4
 夕方から降り降り始めた雨は激しさを増していた。

 そんな雨音を聞きながら、信次は何度も布団の上で寝返りをうつ。



眠れない



 理由はさっき偶然見たあの二人のせいだった。


 夕方、秀一の車に乗り込む沙耶香の姿を見た。



馬鹿なやつらだ

不倫現場を俺に見られているくらいなら

きっと町の人にも知られている

義姉さんだって、きっと・・・



 胸の中がどうしようもなくもやもやし、信次は起き上がり部屋を出た。

 何か飲もうと台所へ向かう途中、まだ灯りの灯っている居間を覗くと、そこには真佑がぼんやりと座っていた。


「義姉さん? まだ起きてるの?」


 時計の針は午前零時を過ぎている。いつもだったら寝静まっている時間だ。

 真佑は信次を見ると、ほんの少し口元を緩ませ呟いた。


「あの人まだ帰ってこないの……」


 信次の心臓がとくんと音を立てる。


「どうせ何処かで飲んでるんでしょうけど……」


 確かに、秀一の帰りが遅くなることは、珍しいことではない。だけどそんな時、真佑は颯汰と一緒に先に寝てしまうはず。


 それなのに今夜に限って、真佑は秀一の帰りを待って起きていた。

 いつもと違う何かを、真佑も感じているのではないだろうか。


 激しい雨音と共に、どうしようもなく嫌な感情が信次の頭を支配する。


「俺、ちょっと、兄貴探してきます」

「あ、待って……信ちゃん」


 何か言いたげな真佑を残し、信次は玄関を出て傘を開いた。



 夜道を早足で歩きながら、兄に電話を掛ける。呼び出し音が鳴るだけで、出る気配はない。


「くそっ」


 苛立ちを紛らわす様に乱暴にスマホをポケットに突っ込む。

 秀一の居場所なんてどうでもよかった。信次が知りたかったのは、まだ二人が一緒にいるかどうかだった。



もしまだ、一緒にいるなら



 傘に打ち付ける激しい雨音を聞きながら、信次の足はあの場所へ向かっていた。



 しかし、信次の予想した場所に、二人の姿はなかった。


「なんで……」


 真っ暗で乱雑に物が散らかっている小屋の中を見回す。ここで二人がしていたことを思い出し、気分が悪くなる。

 信次は扉を開けて外へ出た。強い風が吹き付け、雨で全身が濡れる。




じゃあ、どこにいるんだ?

ここ以外の場所でも会ったりしてたのか?

車で遠い所まで行ったのか?



 考えてもわからなかった。けれど、何かをしていないと気が気じゃなくて、信次は港を駆け抜け、民家の前を通り過ぎ、まだぽつぽつと灯りが残る、酒場の方へ向かった。



 漁師仲間が集まる秀一の行きつけの小さな居酒屋で簡単に見つけることができた。


「あぁん? 何でお前がここにいんだ?」


 濡れた傘から雨水を垂らし、息を切らしている信次を秀一は赤い顔をしながら見た。


「沙耶香は?」

「あ?」

「沙耶香は一緒じゃないのか?」


 店の客は秀一の他に、二人連れの知らない男がいるだけで、あとは年老いた店主がカウンターの上を片づけているところだった。


「何言ってんだ? お前」

「知ってるんだぞ! あんたが沙耶香にしてること!」


 秀一が信次を見てふっと笑う。人を見下したような目つきに腹が立ち、信次はいつもだったら絶対に出さないような声を出していた。


「義姉さんの気持ち、考えたことあるのかよ!」

「うるせぇな、お前はいつからそんな偉そうなこと言えるようになったんだ!」


 秀一がカウンターをばんっと叩いて立ち上がる。二人の客が同時に秀一を見る。信次は全身が粟立つのを感じた。


「命がけで海に出て、てめぇみてぇなガキに飯食わしてやって、学校まで行かせてやってるのは誰だと思ってんだ! えぇ? 言ってみろ!」


 信次は俯き、両手をぎゅっと握る。腕も足も情けないほどにガクガクと震えていた。

 そんな信次を見て秀一は薄ら笑いを浮かべ、また椅子に腰かけて言った。


「お前……沙耶香に惚れてんのか? だったらくれてやるよ、あんな女。今さらいい子ちゃんぶりやがって……散々俺に抱かれて、嬉しそうに声あげてたくせによ」


 気がつくと信次は右手を握り締めて、秀一に体当たりをしていた。

 椅子の倒れる大きな音とグラスの砕け散る音。床に倒れて一瞬驚いた表情をした秀一の顔を信次は思いきり殴りつけた。


「信次……てめぇ……」


 反撃に出ようとした秀一を、もう一発殴る。面白いようによろけてくれるのは酔っているからだろう。



このまま殺してやろうか?

今ならできるかもしれない


 信次の頭にそんな恐ろしいことを考えるもう一人の自分がいる。


 起き上がろうとした秀一の体に馬乗りになり、胸ぐらをつかむ。そしてもう一度右手を振り上げた時、信次の背中を誰かが抱きしめた。


「もうやめて! お願い!」


 背中に当たる暖かい感触。信じられない気持ちで信次は振り返る。


「お願い、信ちゃん……もう、やめて」


 潤んだ目をした真佑が信次のことを見つめていた。



鶉親方 ( 2020/03/26(木) 22:10 )