沙耶香 5
 いつもの様に呼び出されて外へ出る。薄暗い港近くまで来たら、仕事用のライトバンに乗った秀一が沙耶香を呼んだ。


「早く乗れ。誰かに見られたらまずいだろ」


 秀一の言葉に急かされ、沙耶香は戸惑いながら助手席に乗り込んだ。



 小さな町を出て、海沿いの国道を車が走る。外はもう薄暗く、ぽつぽつとフロントガラスに水滴が落ちてきた。


「どこ行くの?」


 車で出かけるなんて、初めてだった。会う場所も、やることも、いつも決まっていたから。


「飯食いに連れてってやるって言っただろ?」


 前を向いたまま、どことなく機嫌良さそうに秀一が言う。だけど沙耶香の気持ちは重かった。


「信・・・知ってたよ」


 隣に座る秀一の横顔に呟く。


「私と秀ちゃんのこと」

「やっぱりな」


 秀一がハンドルを切った。どこかの店に行くのかと思ったけれど、車は海沿いの寂れた駐車場に止まった。


「まぁ、あいつには何もできやしねぇよ」


 秀一の手が沙耶香の髪に伸びる。いつも頭を撫でてくれた、大好きだった手。けれど、沙耶香はさりげなく身体を背けた。


「お腹すいた」

「後でちゃんと連れてってやる」

「やだ。今連れてって」


 顔をしかめた秀一が沙耶香の身体を乱暴に引き寄せる。


「やだっ! いやなの!」

「わがまま言うな。すぐ終わらせっから」

「じゃあ、私と結婚してくれる?」


 沙耶香の声に秀一の動きが止まる。やがて狭い車内に乾いた笑い声が響いた。


「何言ってんだ、お前。頭でもおかしくなったか?」

「おかしくなんかないよ。奥さんと別れて、私と結婚して欲しい」

「バカ言ってんじゃねぇよ。お前だけは、そんなこと言わねぇって思ってたのによ」


 掴まれた腕を沙耶香は必死に振り払おうとする。だけど秀一の力に敵うはずもない。

 無理やり身体の抑えられ、まるで心まで縛り付けられていく。


「もういやなの! こういうのは!」

「騒ぐな。大人しくしてろ」

「やだ! もうこれ以上、誰かを傷つけたくないの!」


 暗闇の中に沙耶香の声が響いた。



本当はずっとすがりついていたい

先がないことは知っていても

秀一と身体だけでも繋がっていたい

だけど、もう奥さんのことも

子供のことも

そして、信次のことも

傷つけたくはない





 痛いほど強く手首を掴まれ、短い悲鳴をあげた沙耶香の唇は秀一の唇にふさがれる。

 身体中がぎしぎしと痛む。涙を流しながら歯を食いしばる沙耶香の顔を秀一は一度も見ようとはしなかった。




鶉親方 ( 2020/03/23(月) 23:41 )