同じ色の空の下で - 1
信次 2
「あ、信ちゃんだぁ!」



 学校帰りの信次を見つけ、庭先で遊んでいた颯汰がおもちゃのシャベルを持ったまま駆け寄ってきた。



「お帰りなさい。信ちゃん」



 洗濯物を取り込んでいた真佑が笑顔を見せる。



「ただいま……」



 そう小さく呟くと、まとわりつく颯汰を軽くかわし、信次は自分の部屋へ入る。


 そして持っていた鞄を叩きつけるように机に置いた時、自分がイライラしていることにやっと気づいた。



「誰なんだよ……あの男」



 さっき知らない男と一緒にいる沙耶香の姿を見た。




昨日防波堤の所にいたやつだ

あいつ一体誰なんだ?




 そんな疑問を沙耶香に聞けるわけもなく、ただイライラしているだけの自分に腹が立つ。




なんて情けなくて

ちっぽけな男なんだろうな




 不意に隣の部屋から苦しそうな咳が聞こえた。信次はふっと息を吐き、その部屋へ向かう。



 窓際にあるベッドの上で、信次の父親が咳き込んでいた。



「大丈夫?」

「……あぁ」



 父は消えそうな声でそう言ったけれど、大丈夫そうには到底見えなかった。信次は無言のまま近づいて、そんな父の背中をさする。

 強くて大きくて威厳のあった父の背中。それが今はやせ細って、ただ苦しそうに息をしているだけだ。



「悪いな……信次」

「別に、いいさ」



 母が亡くなってから体調を崩した父は病院で癌と診断された。もうすでに末期だった。

 医者には入院を勧められたけれど、父は頑として家に残ると言い張った。この家で死にたいという、覚悟の上だった。

 だけどそんな父の看病をするのは、妊娠七か月の義姉の真佑だ。


 大きなお腹で、三歳の颯汰の世話をしながら、自分勝手な兄の相手もして、さらに父の面倒までみてくれている。そんな真佑は本当に偉いと思うし、頭が上がらない。



「信次」



 父のかすれた声が聞こえる。



「ん? なに?」

「お前に、まだ言ってないことがある……」



 信次は背中をさする手を止めた。



「実はな……」



 父が少し咳き込んでから呟く。



「お前と秀一は腹違いの兄弟なんだよ」



 ごくんと、唾を呑み込む音が聞こえた。心臓がざわざわと嫌な音を立てる。



「秀一は俺と前妻の子だ。その女が出て行ってから、再婚してお前が生まれた」

「そんなの初めて」

「そうだな……お前には言う必要がないと思っていたから」



 知らなかったのはおそらく信次だけだろう。当然、兄の秀一はそのことを知っている。



「秀一の母親とは相性がよくなかった。結局、あれは秀一を置いて、この家を出て行った」



 咳き込む父の背中を、信次はもう一度さする。



「だけど俺は、残された秀一のことを愛せなくてな。怒鳴ったり殴ったり、かなりひどい仕打ちをした」



 それは聞いたことがあった。

 漁師だった父は信次にとっても怖い父親だった。けれど、手を上げることは一度もなかった。だけど秀一はよく怒鳴られて、殴りつけられていたそうだ。



「秀一が十歳の時、再婚した母さんがお前を産んだ。母親から可愛がられたお前のことを、きっと秀一は妬んでいたんだろう」



 父が痩せこけた顔を上げて信次を見た。



「悪かった。秀一が今でもお前にきつく当たるのは、昔の俺のせいだ」



 信次はゆっくりと首を振った。




違う

そうじゃない




 例えどんな過去があったとしても何をしてもいいわけではない。



 秀一は信次だけでなく、妻である真佑にも暴力的に振舞っているし、浮気だってしている。





あの男は最低だ

母親のせいとか

父親のせいとか

そんなの関係ない




 そう思った信次の耳に、父のかすれる声が聞こえた。



「だけどな。それでもあいつは、秀一はお前のたった一人の兄なんだ。頼むから仲良くやってくれ。俺がいなくなってもな」




冗談じゃない

誰があんなやつと




 それが、父親の願いだとしても信次にとっては到底、受け入れられない話だった。

 父親の部屋から出ると玄関先で乱暴な音がした。秀一と真佑の言い争うような声がする。



「夕飯を作って待ってろって言ったの、あなたじゃない!」

「ちょっと用事ができただけだ。帰ってから食うって言ってるだろ?」

「用事って何? どこに行くのよ?」

「いちいちうるせぇな! 黙ってろ!」



 何かがぶつかる音がして信次は玄関へ飛び出した。


 真佑が壁にもたれて座り込んでいる。秀一に突き飛ばされたのだろうか。



「だ、大丈夫?」



 駆け寄って声をかける。



「大丈夫よ……信ちゃん」



 真佑はつらそうな表情でお腹をかばう。


 壁際に隠れるようにして、そんな父親と母親を見ている颯汰の姿が見えた。



「なんだ? 信次。文句でもあるのか?」



 顔を上げて睨みつけたら、秀一が馬鹿にしたように笑った。

 震える右手をぎゅっと握る。だけど、秀一の前に信次はひと言も声を発することができなかった。



「ふん。ガキは大人しく勉強でもしてろ」



 秀一は信次から目を逸らすと、乱暴に引き戸を開けて外へ出て行った。




■筆者メッセージ
山田太郎さん

裏話というほどではないですけど、この話は当初は全く別のメンバーで書こうと思ってました。そのメンバー達はまた別の物語で登場させようかなと思ってます。



また、お願いします。
鶉親方 ( 2020/02/23(日) 18:41 )