誠 1
 防波堤の上に立って、鳴瀬 誠はぼんやりと海を見ていた。


 幼い頃、祖母の家に遊びに来た時、この海はもっと青く輝いて見えていた。



何かが変わったのか

いや、この場所は何も変わっていないはずだ

変わったのは

自分の方だ




「来ないの・・・生理」


 そう言って俯いた彼女、柴田 柚菜は小さく震えていた。


「どうしよう・・・どうしよう、ねぇ、誠くん」


 昼休みの終わりを告げるチャイムが耳に響く。渡り廊下で立ち尽くす誠たちの脇を、笑い声を上げてクラスメイトたちが通り過ぎる。


「どうしようって、言ったって」



あの時か



 誠はうまく回らない頭の中で考えた。

 避妊はしてきたつもりだった。だけどたった一回だけ、雰囲気に流され、何も着けずにしてしまったことがあった。


 柚菜は嫌がったのに。そういうことをすれば、どうなるかってことくらいわかっていたはずなのに。一回くらい大丈夫だとか、自分だけはないだろうとか、根拠もない自信がその時の誠にはあった。


「無理・・・だよな?」


 柚菜が顔を上げて誠を見た。真っ赤に潤んだその瞳に責めているように感じ、誠は思わず視線を逸らした。


「・・・病院行こう。誰にも知られないように、お金だったら、なんとかするから」


 クラスの男子が通りかかった。泣き出しそうな柚菜の顔を見て、冷やかしの声をかけていく。


 この場から早く立ち去りたい。そんな気持ちだけが誠の頭の中を支配していた。


「いいよな? それで」


 柚菜は何も答えなかった。その代わりにさっきとは違う、冷え切ったような視線を誠に向けていた。


「何してるんだぁ、お前ら。昼休み、終わるぞ?」


 教師の声がした。柚菜が黙ったまま、背中を向ける。


「こーら、鳴瀬。女の子泣かしちゃ、ダメだろうが?」


 陽気に笑う教師と去って行く柚菜の後ろ姿。



大丈夫、なんとかなる

次から絶対気をつければいいことだ



 柚菜の背中を見送る誠には、彼女の心の痛みなど、何ひとつわかっていなかった。





 柚菜の両親が怒鳴り込んできたのは、その日の夕方だった。それも、誠の父親が開業している産婦人科医院へ。


「娘をこんな目に遭わせておいて、お宅の息子は何事もなかったことにしようとした」

「医者のくせに、自分の息子の性教育もできないのか?」


 病院の待合室。たくさんの患者のいる前で柚菜の父親は見せしめのように、誠の父を怒鳴りつけた。


 そして運悪く、同じ学校へ通う生徒の親もたまたまそこに居合わせたため、次の日には噂が学校へも広がってしまった。







 誠が父親に怒鳴られたのはこれが初めてだった。


 だからと言って今までが優しくて物わかりの良い父親だったわけではない。


 大学病院で研修医をしている兄、医学部に通う姉。だけどその末弟の誠はそこそこの進学校へ通ってはいても、兄や姉と比べれば、出来の良くない子供だった。


 だからだろう。父は誠にはあまり口出ししなかった。



 適当に勉強さえしていれば遊ぶ金はくれたし、どんな友達と遊ぼうと、どんな女の子と付き合おうと、何も言わなかった。というか、関心もなかったのだろう。


「お前はなんてことをしてくれたんだ!」


 そう言って父親が頭を抱える理由は、誠のことを想っているからでも、柚菜のことを心配しているからでもない。


 自分が今まで築いてきた地位や名誉といった世間体が、出来の悪い息子によって崩されたことに腹を立てているのだ。

 それを誠もよくわかっていた。


「この家から出て行け! 学校も辞めろ! もうお前の顔は見たくない」



やっと、本音が聞けた



 今までもその言葉を誠はずっと待っていたのかもしれない。


「わかったよ。こんな家、こっちから出てってやる」


 広くて必要以上のものが揃っているのに、なぜか物足りさのある冷たい部屋。馬鹿にした態度で眺めている兄と、憐れむような視線を送る姉。

 そして、PTAの会長をやっている母親は父親と同じように世間体ばかり気にしている。


 もううんざりだった。柚菜のことは、ちょっとしたきっかけにすぎない。



どこでもいい

早く、早く、この家を出たい








「危ないよ、そこ」


 急に声をかけられ振り返ると目の前に同じ年ごろの女の子がいた。


 彼女はこの町の言い伝えのような話をした後、あなた誰?と誠に聞いた。



 出て行けと言っても、未成年の息子を家出させるわけにもいかなかったのだろう。誠は父方の祖母が一人で暮らしている田舎の家に、無理やり引き取られる形になった。



 沙耶香と名乗った女の子が、自分の家の方向を指さす。それをぼんやりと目で追いながら、これから暮らすことになった田舎町を眺めてみる。


 海と山に囲まれた、狭くて薄暗い町。毎日当たり前のように見ていた高いビルも、明るいコンビニも、車や電車の騒音もない。


 ただ耳に聞こえてくるのは、永遠に繰り返される波の音だけ。


 誠は急に何もかもが馬鹿馬鹿しく思えて、嫌になった。


「なんで・・・こんな所にいるんだろうな。オレ」


 このまま海に飛び込んで死んでしまったら、あんな両親でも少しは焦るだろうか。それとも手のかかる息子がいなくなって、せいせいするだろうか。


 そして今まで一緒に遊んでいた仲間は、柚菜はほんの少しでも悲しんで、泣いてくれるだろうか。


 考えることさえ面倒になって、すべてを振り払うように一歩踏み出す。

 歩き始めた誠の後ろから、セーラー服のスカーフを風になびかせながら、沙耶香が黙ってついてきた。




■筆者メッセージ
とりあえず、メンバーはこの3人だけです。
ま、2人はそこまで出番はないでしょうけどね。


紫三角さん
ありがとうございます。ですけど、今回はこれ以上のメンバーを出すつもりはありませんので、別の話で出せたらいいなと思います。
鶉親方 ( 2020/02/16(日) 14:43 )