同じ色の空の下で - 1
信次 1
 右手にぶら下げたビニール袋がガサガサと潮風に煽られる。


「信ちゃん、オマケ持ってきな」


 そう言われ、店のおばさんからもらった大福はあまり好きではなかった。


 港のそばで立ち止まり、冴嶋 信次は海を眺めた。どんよりと薄暗く、陰気くさいこの風景はまるで自分のように思えて唾を吐きたくなる。

 ふと視線を移した防波堤の先に男女の人影が見えた。女の方は信次もよく知っている沙耶香の姿だった。



 沙耶香とは、もう長い付き合いだ。幼なじみと言ってしまえばそれまでだけれど、この狭い港町では、すべての子供が幼なじみのようなものだ。

 だけど信次にとって沙耶香は幼なじみ以上の特別な存在だった。


 ショートカットにショートパンツで、男の子みたいだった沙耶香はよく信次たちと一緒に遊んでいた。



『信! 早くおいでよ!」』



 そう言って前を走る沙耶香を信次はいつも追いかけていた。


 そんな男勝りだった沙耶香が髪を伸ばし、スカートを履き、ほんのり化粧をするようになったのはいつからだろう。


 いつだって一歩先を走っていた沙耶香は、いつの間にか信次の手の届かない所まで行ってしまった。


 絶対的な権力を持っている兄の元で、ただ言いなりになって暮らしているだけの自分が、決して手の届くことのない遠い場所まで。



「信ちゃーん」


 聞きなれた幼い声に信次は沙耶香から視線を外す。自分に駆け寄ってくる甥っ子の颯汰の姿が見える。そしてその後ろには、穏やかに微笑んでいる颯汰の母親の姿。


「信ちゃん、お味噌あったぁ?」

「あぁ、あったよ。それと、ほらオマケももらった」


 町のスーパー代わりで、何でも売っている雑貨屋に信次は夕飯に使う味噌を買いに来たところだった。


「ごめんね、こんなこと信ちゃんに頼んじゃって。夕飯には必ずお味噌汁作らないといけないのに、お味噌切らしちゃって」


 颯汰の母親、真佑が大きなお腹を抱えて申し訳なさそうに言う。信次は黙って首を横に振ると、袋から大福を取り出して颯汰に渡した。


「わぁい! これ、もらっていいの?」

「いいよ。でもちゃんと飯食ってからな?」

「うん! わかった!」


 颯汰の笑顔を見ながら、味噌の入った袋を真佑に渡す。

 ありがとうと一言、真佑が信次の手からそれを受け取る。


 信次の兄である秀一が、夕飯に味噌汁がないというだけで怒り出す人間だということは、信次もうんざりするほど知っていた。


 母が亡くなってから、それまで家長を務めていた父に威厳がなくなり、その代わりに秀一が家の何もかもを仕切るようになったのは数年前。


 それはとても窮屈で息苦しかったけれど、信次は秀一に従うしかなかった。



なぜか

そう、ただ怖かったから



 小さい頃から反抗すれば暴力で抑えつける十歳年上の兄は、信次にとって恐怖でしかなかった。


「お母さん、お腹すいたぁ」

「そうね、早くご飯作らないと、お父さんが帰ってきちゃうね」


 急ぎ足で家へ向かう義姉と甥っ子を見ながら信次は哀しくなった。



あの人は、どうして兄なんかと結婚したのだろう

わがままで、自分勝手で、すぐ暴力をふるって、細かいことにうるさくて

そして奥さん以外の女と関係を持っている、あんな男と



 薄暗くなった空の下で信次は振り返った。防波堤の上には沙耶香の姿はもうなかった。


「信ちゃーん」


 颯汰に呼ばれて声の方へと向かう。


 頭の中に、沙耶香と兄の重なり合う姿が浮かんで吐き気がした。




鶉親方 ( 2020/02/15(土) 01:19 )