十五話
 クリスマス、正月、バレンタインデー。独り身の私には寂しい行事が通り過ぎる。



 仕事帰りのバスの中、何度途中下車してあのアパートへ向かおうかと考えたことか。このまま何もなかったような顔で、見慣れたドアをノックして、お腹へったー、なんて笑って言えば、彰はきっと温かい料理を私に作ってくれるだろう。



 記憶なんてなくてもいい。彰は彰なんだから。


 だけど私はそれをしなかった。そんなことをしても、彰を苦しめるだけだから。






 春を感じさせるような暖かい夜、一人で立ち寄ったあのバーでマスターがポツリと私に言った。



「この前さ、彰くん来たよ」



 マスターはそう言いながら、私に自慢のカクテルを差し出した。



「史帆ちゃんと一緒だった」



 私はカクテルを一口飲んで笑った。



「マスター、逢引してる客のこと、そうやって他の客にしゃべってもいいもんなの?」

「久美ちゃんだからだよ。久美ちゃんは知っておいた方がいいと思ってね」



 マスターはそう言ってグラスを磨いた。店の中には私以外の客はいない。



「・・・元気そうだった?」

「うん。史帆ちゃんと何か話しながら、楽しそうに笑ってた」

「そっか」



 私はカクテルを一気に飲み干す。



「もうちょっと味わって飲んでくれてもいいんじゃない?」



 マスターはそう言って笑った。




史帆と彰か

悪くはないかな




 私はカクテルをおかわりしながら考えた。なぜか今夜は穏やかな気持ちだった。



私が変わったのだろうか

彰のことを忘れたのだろうか




 それから私は、マスターとどうでもいいような世間話をして、マスターの新しく開発したカクテルの味見をさせてもらったりして、気がついたら明け方近くなっていた。



「またお母さんに怒られるよ」

「不良娘だね」

「マスターのせいだからね」



 私は笑って店を出た。



 今日も私は酔っていなかった。




べろべろに酔って、めちゃくちゃ泣けば可愛いのに・・・

私って可愛くないな




 そんなこと思いながら、少し明るくなり始めた歩道を歩く。


 車道を走る車は疎らで、信号機は点滅を繰り返す。商店街のシャッターは下ろされ、遠くでカラスが鳴いている。


 空を見上げると夜の闇がだんだんと消え去り、街に朝が訪れようとしていた。


 私は大きく息を吸い込む。





この空の色、空気の匂い

いつか感じたことがある

そうか、あれは初めて彰の部屋で夜を明かした日だ




鶉親方 ( 2020/02/18(火) 20:39 )