四話
「よかったの? 史帆ちゃん」

 
 12月の薄暗くなった夕暮れ、人ごみの中に消えてゆく史帆の背中を見送りながら彰が言った。


「うん。おばさんと待ち合わせしてるんだって、駅前で」

「ふーん」


 ぼんやりと人ごみを見つめている彰の腕を私はそっと抱きしめる。


「来るでしょ? うち」

「うん」

「お母さん、久しぶりに彰が来るから張り切って夕飯作ってるよ」


 私はそう言って彰の顔を覗き込む。彰は私を見て、少し戸惑ったように笑った。



 半年前、交通事故で頭を打った彰は最近の記憶をなくしてしまった。よくいう記憶喪失ってやつ。でも、古い記憶はしっかりと残っている。


 5才で母親を亡くし、12才で父親を亡くし、その後は親戚をたらいまわしにされて、高校卒業と同時に就職して家を出た。そのあたりまでははっきりと覚えている。けど、その後の記憶が消えているのだ。



 私と出会って、付き合って、キスして、抱き合って。結婚の約束までしたこの数年の記憶は、きれいに削り取られてしまった。


 事故による一時的なものだろう、きっと何かの拍子に思い出すだろうと担当の医師は言う。

しかし、本当にそうなのだろうか。

 彰にとって私は忘れてしまいたかった存在であったのではないか。

 事故で婚約者を失いかけ、看病に疲れ果てた私は、そんなナーバスな考えをよくしたものだ。



 でも、最近は違う。記憶がなくたって彰は彰だ。私は今、こうやって彰とまた腕を組んで歩けることを心から幸せに思っている。



鶉親方 ( 2020/01/26(日) 16:24 )