42話 今、出来ること
 仕事が終わり、美波は化粧直しもそこそこに店を飛び出した。

 健人と未来を描くには、ちゃんとケジメをつけなければならない。



 捨てる準備はもう、できていた。








「こんばんは」



 美波は緊張した面持ちでドアを開けた。



「お? 美波ちゃん。仕事帰り?」

「はい。マスター、いますか?」

「うん。ちょっと待ってね」



 伊吹は奥にいるマスターを呼びに行った。美波は小さく頭を下げてカウンターの隅のスツールに腰掛けた。




「やあ、いらっしゃい」

「こんばんは」



 美波はお辞儀をして少し微笑む。



「何にしようか?」

「ペリエ、ください」

「え?」



 マスターは少し驚いた顔をして頷いた。


 グラスに注がれたペリエを見つめ、美波は思い切って口を開く。



「マスター。健人の病気のことなんですけど」

「・・・何かな?」

「どうすれば治りますか?」

「治る、か・・・。そうだね、精神の病っていうのは、どうも治療に長い時間がかかるそうなんだよ。定期的にカウンセリングを受けるとかね。けど、健人はそれを全部放置している」

「諦め、でしょうか?」

「どうだろうね。実際のところ、私にもわからない。どうにかしてやりたいのだけどね」



 マスターは苦く笑って美波を見た。



「・・・君はどうしたい?」

「健人を守りたい。そばにいたいです」

「そうか・・・うん。ありがとう」



 しばらくの間沈黙が流れる。



 どうしたらいいのか、美波にはわからなかった。

 ネットで調べられることは全て調べた。

 専門書を読んだりもした。

 けれどどの記述も一般的疾患についてばかりで、どれも健人には当てはまらない気がしたのだ。

 もう、マスターに聞くしか手立てはなかった。



「美波ちゃん。これを」



 マスターは小さなメモをそっとカウンターに乗せた。



「これは?」

「健人の担当医の連絡先。彼女なら何か教えてくれるかもしれない」

「いただいても構いませんか?」

「もちろん。君がいてくれて、私は本当に感謝している。どうもありがとう」




 マスターは深々と頭を下げた。

 美波は戸惑いながらもしっかりとこのバトンを引き継いだ気がした。










 翌日、美波は健人の担当医だという女医に連絡をした。

 彼女はすぐに会う約束をしてくれ、美波は指定された待ち合わせ場所で待っていた。



「松村先生・・・ですか?」

「えぇ、初めまして。健人くんの担当医の松村沙友理です」


 沙友理は穏やかな笑みを美波に向けた。



「お忙しいところ申し訳ありません」



 美波が頭を下げると沙友理は慌てたように手を振る。



「全然。よかった。あなたみたいな子が健人くんの傍にいてくれて」




 美波は訊ねた。



 健人の病気のこと、ケアのこと、薬のこと。とにかく自分で調べてわからないと思ったところは全てメモしてきた。


 沙友理は小さくため息をつき、困ったように微笑む。



「私たち医師には、守秘義務ってもんがあってね? あなたに健人くんのことを教えるわけにはいかへんのよ」

「お願いします。詳しいことはわからなくてもいいんです。私に、何ができるか教えてください」



 美波は頭を下げた。


 健人を守るには、この国にはいろいろな法律がありすぎた。

 美波の知らない、国民全てに与えられた法はまだまだたくさんある。





お願い。健人を、助けて・・・




 頭を上げない美波に、沙友理は諦めたようにため息を吐き、微笑んだ。





「わかったわ。あなたにできることは教えてあげる」

「本当ですか!?」

「ええ」



 沙友理に丁寧なアドバイスを施され、美波の瞳に涙が浮かぶ。





守れる

健人を守れる




 それが、ただそれだけが嬉しかった。






鶉親方 ( 2018/12/07(金) 22:43 )