35話 悪戯
美波はぼんやりと目の前の男を眺めていた。
キレイなフォームで色鮮やかなカクテルを創り出し、ピカピカに磨かれたグラスに注ぐ。健人とはまた少し違う手つきに見入る。
「どうしたの? 美波ちゃん」
「え?」
「俺に何か付いてる?」
「あぁ、ううん違う。健人と違うなって思っただけ」
照れくさそうに笑う美波に公志は優しく微笑む。
「そりゃそうだよ。健人と同じだったら美波ちゃん、俺に惚れてた?」
「ううん」
「うわ、そんなアッサリ言う?」
苦笑いする公志に笑っていると美波の頭にぽんと手が乗せられる。
もう顔も見なくても誰かわかる。緩んだ頬を押さえて美波は見上げた。
美波を見下ろす優しい瞳。
健人はちょっと笑って公志を見た。
「口説くなっての」
「たった今、こっぴどく振られたところさ」
公志は肩を竦めてちょっと笑う。
「ざまあ」
「ひでぇ」
嘆く公志を笑い、健人はスツールに体を預けた。
「どうしたの?」
「ん? ちょっと休憩」
「疲れてるの?」
「全然。試してみる?」
「イヤ」
「そ?」
健人は残念そうに笑って頬杖をつく。
「何か飲めば?」
「んー・・・今日はいいや。美波、次何飲む?」
「どうしようかな・・・。あ、前にマスターが作ってくれたやつがいい」
「なんだっけ?」
「バニラの香りがするやつ」
「バカディアーノ? 了解」
健人は立ち上がって美波の頭に手を乗せ、カウンターに入っていく。
流れるようなフォームはやっぱりマスターとよく似ていると美波は思った。
目の前に置かれたカクテルグラスに美波は微笑んだ。
「何?」
「ううん。マスターと健人のシェイカーの振り方、似てるなって思って」
「あの人から学んだからねー。って、なんでマスターのシェイク覚えてんの」
「初めて行ったときにそう思ったから」
「へぇ、それって愛?」
「また変なこと言って・・・」
美波は呆れたように笑い、グラスを口に運ぶ。
おいしい、と顔を上げると健人はやさしく微笑んだ。
「なーんか、オーラがピンクいんだけど」
公志はにやりと笑って健人を突っつく。
曖昧に笑ってカウンターを出て行く健人に目を細める公志に美波はちょっと笑う。
「どうしたの?」
「公志くんの健人を見る目、保護者みたいだね」
「リョウと同じこと言わないでよ」
「えぇー? リョウちゃんと同じレベルなの?」
「美波ちゃん、それってちょっと酷いよ?」
落胆する美波に公志は苦笑いを浮かべた。
美波はちらりと公志を見上げた。
「ん?」
「・・・公志くんってさ、彼女いる?」
「嫌味?」
「まさか。ちょっと聞いただけ」
「いるわけないでしょ。俺、ここ半年くらい休みナシだよ?」
「そっか・・・」
「誰か紹介してくれんの?」
「紹介? ううん、違う」
美波はバカディアーノを飲み干し、グラスについたグロスを指で拭う。
「・・・グロス落としてから来ようかな」
「どうして?」
「せっかくキレイなカクテルなのにグラスについちゃうんだもん。落ちないグロスなんてウソばっかり」
「美波ちゃんは健人が作ったカクテルが好きなんだもんね」
「うん。でも、公志くんが作ってもリョウちゃんが作っても同じだよ?」
「そう? お次は何にしましょう?」
「もういい。今日は帰るよ」
「じゃ、健人呼んでくるね」
「いいよ。今日は家に帰るから」
「勝手に帰しちゃったら俺が怒られちゃうの」
公志は肩を竦めて健人を呼んだ。
少しして健人がカウンターに戻ってきた。
「帰るの?」
「うん。リンが心配するし」
「そっか。気をつけて帰れよ?」
美波はチェックシートの上にお金を乗せて立ち上がる。見送ろうとする健人を制し、店を出た。
閉じたばかりのドアが開き、美波は笑う。
「いいって」
「見送りぐらいいいじゃん」
健人はちょっと笑ってエレベーターのボタンを押した。
不意にするりと抱き寄せられ美波は思わず苦笑いを浮かべた。
「お客さんに見られちゃうよ?」
「オレ、ホストじゃないから平気」
「馬鹿でしょ?」
「美波の前ならいくらでも馬鹿になれるよ」
「・・・ホント、キザだよねぇ」
エレベーターの到着を知らせる音が鳴り、扉が静かに開く。乗り込んで扉が閉まると健人は美波の額にちゅっとキスを落とした。
美波は少し考えて健人の首に腕を回し、そのまま背伸びをして唇を重ねる。
唇が離れると健人は驚いた顔をしていた。
美波はこっそり笑う。
いつもドキドキさせられっぱなしなのは癪だったから
ささやかな仕返し
健人の珍しい表情が見れて満足気に美波は帰って行った。