29話 今、幸福か
「公志、ちょっと出てくるわ」



 公志が店に戻り、入れ替わるように健人が店を出て行ったが、思い出したようにドアから顔を覗かせ美波に声をかける。



「美波、ちょっと待ってて。事務所行ってくる」



 美波は少しだけ体をずらして健人の背を見送った。

 健人が出て行ったのを確認し、美波は公志にどうしても聞きたかったことを聞くために向き直る。



「ね、公志くん、ちょっといい?」

「ん? 飲み物?」

「ううん。健人のこと」

「健人がどうかした?」

「あのね? 健人ってどこか悪いの?」

「え?」

「昨日、マスター。河村さんのところに行って聞いたの」

「そっか。・・・美波ちゃん、健人のこと、好き?」

「好き、だよ?」

「じゃ、いつか。美波ちゃんが健人の全部を好きになってくれたら教えてあげる」

「今はダメってこと?」

「そうだね。ごめん。今は・・・美波ちゃんが潰れちゃうと思う」

「大丈夫なの?」

「そんな顔しないで。大丈夫だから。そのために俺がいるんだ」

「公志くんは平気? 潰れちゃわない?」


 美波の問いに公志は驚いた顔をし破顔した。



「俺の心配なんてしなくていいよ。美波ちゃんは健人を見てあげて。あいつ、本当に美波ちゃんのこと好きだからさ」

「・・・うん。私・・・ホントは人間が嫌いなんだ。人は変わるから・・・」

「変わらないのもあるよ」

「そうかな」

「そうだよ。俺もタケも、美波ちゃんが好きだよ?」

「そっか。・・・ありがと」



 美波は少し微笑んでグラスに触れた。






変わらないもの

本当にあるのかな


毎日、朝がくるように

毎日、日が沈むように

変わらないものって






 黙り込んだ美波に公志が優しく微笑む。



「大丈夫だよ。美波ちゃんを守るためにタケがいて、俺らがいるんだから」

「私、そこまでしてもらえるような人間じゃないよ?」

「それがあいつの意思だから。甘えてなよ。健人はそれが幸せなんだ」



 公志の話はどこかはぐらしていて美波にはよくわからなかった。



 ただ、ひとつだけわかった。健人は何かを抱えている。


 美波には想像もできないほど重い何かを。






それでも、自分を愛してくれている

私は何を返せる? 

健人なしでは生きていけないほど愛せる? 

何もかも捨てて健人を想える? 






 不安になって公志を見上げる。そこにはいつものように優しい微笑み。



 その微笑みにゆっくりでいいんだと言われたような気がした。









「美波、今日どうする?」



 戻ってきた健人に問われ、美波は少し迷って行くと答えた。



 優しい笑みが返ってきてホッとする。





 明日の準備を終え、珍しく全員で店を出た。



「公志」



 健人が公志を呼び、何か言葉を交わしている。先に下りているように言われた亮司と美波はエレベーターで下に降りた。



「美波さんって、ねるさんと知り合いっすか?」

「ねる? ・・・あぁ、知り合いって言うのかな。ライバル店のNo.1。なんで?」

「いや、この前ねるさんが店に来て美波さんのこといろいろ聞き出してたから」

「そう。別に何も隠すことはないからいいけど」

「美波さんって強いっすよね。No.1張るのってすげぇ大変そうなのに辛そうな顔ひとつしないし愚痴も言わないし」

「そんなことないよ。なぁにリョウちゃん、褒めても何も出ないよ?」

「いやいや、マジですって。タケさんについていけるの、美波さんしかいないなって思います」

「そう、かな。私はまだ戸惑ってるけどね」

「え?」

「健人を支えていけるのか・・・自信ないよ」



 美波は亮司を見上げて苦く笑う。



「ヒトを好きになるのって難しいね」



 1階に降り、壁に寄りかかってエレベーターを見上げる。


 6階に停止しているランプがなかなか降りてこない。

 何かあったのかと不安が募る。


 しばらくしてエレベーターが下降し出した。開いた扉から健人と公志が出てきてなぜかホッとする。



「待たせてごめんね。帰ろうか」



 健人は微笑みながら美波の頭に手を置いた。美波はどうしてか泣きたくなるほど胸が詰まる。



「じゃ、また明日。お疲れ」



 公志と亮司がビルを出て行くのを見送り、健人は美波の手をとる。



「どうした? 泣きそうな顔して」



 そっと頬を撫でられ、鼻の奥がツーンとする。





どうしてだろう

健人といると胸が苦しくなる





「健人?」

「ん?」



 見上げると優しく微笑んで首を傾げる健人がいる。

 ちゃんとそこにいるのに不安でならない。



「ごめん・・・何か不安にさせてる?」

「違うの・・・健人のせいじゃない」



 美波は健人の手をそっと握り俯いた。ぎゅっと握り返してくれた手のひらが優しくて切なくなる。



「何かあった?」

「何も・・・」

「そ? じゃ美波に今そんな顔させてるのはどうして?」

「わかんない・・・健人は今、幸せ?」

「そうだな。美波が笑ってくれるともっと幸せかな」



 優しい声が返ってきて、おずおずと顔を上げる。健人はにこりと微笑み、美波を包んだ。



「帰ろ? 今日は家で何か作ってあげる」

「何でもいい?」

「いいよ。シャンパン買って帰ろうか?」



 健人はぎゅっと美波を抱きしめて微笑んだ。





鶉親方 ( 2018/11/04(日) 03:13 )