27話 芽生える不安
店が終わり、ビルの外に出て小さくため息を吐いた。週末でもないのにタクシーが1台も停まっていない。
大通りの方に出たらいるかもと美波は歩き出した。
もう少しで大通りというところで、すれ違った人に声をかけられた。
「美波さん、だよね?」
「あ・・・河村さん、ですよね?」
美波に声をかけたのは健人が師匠と呼んでいたバーのマスターだった。
マスターは穏やかな笑みを浮かべ、美波の前に立つ。
「覚えていてくれてたんだね。光栄だな」
「仕事柄、お顔とお名前は忘れないんです。マスターもそうじゃないですか?」
「うん。確かにそうだね」
マスターは可笑しそうに笑い、少し首をかしげた。
「健人の店に行くのかい?」
「いえ。今日は真っ直ぐ帰ろうと思ってます。ビルの前にタクシーが1台もなかったので探しがてら歩いていたところです」
「そうか。うん、そういえば空車は見かけないな」
「不況なんてあまり感じませんね」
美波は少し笑ってマスターを見上げる。
「もしよかったら飲みに来ない?」
「いいんですか?」
「もちろん」
何となく健人の原点である場所に興味が湧いた美波はマスターの後ろをついていった。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けると先日会った伊吹というバーテンが笑顔で迎えた。
「あれ? 君はタケと一緒に来た・・・」
「美波です。こんばんは」
美波はちょっと微笑んで頭を下げる。
マスターにエスコートされスツールに腰掛けると伊吹は苦笑いを浮かべた。
「マスター、客引きはマズイんじゃないですか?」
「違うよ。ちょっとナンパしただけだよ」
マスターの言葉に美波は吹き出した。きょとんとしている二人に、以前同じ台詞で健人の店に連れて行かれたことを話した。
「やっぱり健人の師匠だからでしょうか」
くすくす笑う美波にマスターは困ったような笑みを向けた。
「何にしましょう?」
「マスターにお任せします」
そう告げるとマスターはシェイカーに材料を入れてシェイクし、グラスに注ぎ入れて美波の前に置いた。
「ソノラです」
「ありがとうございます」
美波は一口飲んで微笑む。
「美味しいです」
「よかった。タケは元気にしてる?」
「はい」
「そっか。・・・体調悪そうなことはない?」
「ええ。健人、どこか悪いんですか?」
「いや・・・店出して1年目って大変だからね」
「そう、ですよね」
そう言いながら美波はマスターの異変に気付く。
そんな理由ではない『何か』が健人にはあるのではないかと。
「健人って、マスターのところで修行でもしてたんですか?」
「そうだよ。16の頃から住み込みでね」
「16!?」
「けど、店には出してないよ?」
美波の驚きようにマスターはにこりと微笑む。
「シェイクもステアも家で教えて、私が試飲。だから毎晩泥酔だったんだよ」
「へぇ・・・」
「こう見えても、私は規律は守る方でね? タケが初めてアルコールを口にしたのはちゃんと20歳になってからなんだよ」
「そうなんですか。なんか意外です。健人のことだから年でも誤魔化して働いてたんだと思ってました」
「昔のタケは酷かったからなぁ」
マスターの隣でグラスを磨いていた伊吹もポツリとこぼした。
「そうだね。そう言えば、君らはいつ知り合ったの?」
「1年も経ってないと思います」
「そうか。じゃあ今のは取り消し。ナイショだよ?」
茶目っ気たっぷりに片目を瞑るマスターに美波は小さく笑う。
その後も内緒と言いながらマスターはいろいろなことを兄弟子の伊吹と共に美波に吹き込み、美波はずっと笑っていた。
心の奥に芽生えた不安を隠して。