26話 芽生えた想い
「美波、フロ入る?」
健人がバスルームから顔を出す頃にはなんとか落ち着きを取り戻した美波は少し考えて頷いた。
健人は満足げに笑ってバスルームに引っ込むと、美波は今さらながらぐるりと部屋を見渡す。
せっかく広いのに殺風景な部屋だった。背の高いスツールが置かれたカウンターと、その上にずらりと並べられたリキュール。
傍らに置かれた小さな冷蔵庫は健人の趣味なのかどことなくオシャレだ。
キレイに磨き上げられたグラスが収められた棚にはブラックライトが静かに輝いている。
「バーみたい・・・」
思わず美波が呟く。
「なにしてんの?」
戻ってきた健人はくくっと笑いカウンターに手をついた。
「なんか、バーみたいだなって思って」
「そう。ここがオレの最初の店。って言っても、仲間内相手なんだけどな」
健人はカウンターの中に入り美波にスツールを勧めた。素直に座った美波にちょっと笑いかけ、シェイカーを取り出した。
「さて、姫、何にいたしましょうか?」
「何それ」
美波はぷっと吹き出した。
「せっかくだから作ってやるよ。何がいい?」
「じゃあ、プレシャス・ハート」
「さっきも飲んだじゃん」
「だって・・・どんな意味が込められてたのか知らなかったんだもん。今度はちゃんと飲みたい」
「あんまり可愛いこと言ってると襲うよ?」
健人はくくっと笑って冷蔵庫を覗き込んだ。
「あー・・・でもジュースのストックがないんだよな・・・。別のでもいい?」
「じゃあ仕方ないね。いいよ、何でも」
健人のシェイクは無駄な動きがない。スマートに作り出されるカクテルにため息が漏れた。
そっと差し出されたグラスをゆっくり持ち上げた。
「キレイ・・・」
「フェアリー。トニックウォーター、平気?」
一口飲んで美波は微笑む。
「平気。美味しい」
「そ? よかった」
健人はにこりと微笑みバスルームに入っていった。バスタブにお湯を溜めていたのだろうか。水の音が消えた。
しんとした部屋に冷蔵庫のモーター音だけが微かに聞こえる。
鼻歌交じりに戻ってきた健人に美波は小さく笑った。
「何?」
「ご機嫌だね」
「そりゃそうでしょう。やっと姫を捕まえたんだからさ」
健人は美波の手にキスを落としてちょっと笑う。
「なんか・・・恥ずかしいくらいキザだね?」
「褒め言葉?」
「・・・微妙」
「姫のご機嫌取りは難しいですねぇ?」
そう言ってバスタオルを美波に手渡す。
「ゆっくり入っておいで。結構酒入ってるからのぼせないようにね?」
なんだか心配性のお父さんみたいだと美波は笑った。
バスルームから出ると健人はソファーに座ってぼんやりしていた。
「健人?」
「ん? あぁ、もう出たんだ。ドライヤー使う?」
「うん。考え事?」
「違うよ」
「疲れてる?」
「全然。試してみる?」
健人は両手を広げて首を傾げる。
「健人・・・なんかエロイよ」
「うわ。直球だよ」
声をあげて笑い、健人は立ち上がる。
「おいで。ドライヤー、こっち」
洗面台の棚からドライヤーを取り出しコンセントに差して美波に手渡す。
「オレもフロ入ってくる。先に寝てていいよ」
シャワーの音が聞こえ、美波はドライヤーのスイッチを入れた。
サラサラの髪が温風で巻き上げられる。手櫛で整えながら乾かし、スイッチを切った。
元あった場所にドライヤーを置き、さっき健人が座っていたソファーに腰を下ろした。
そして、ふと気付く。
この家、時計がない
仕方なくバッグからスマホを取り出し時間を確認する。
4時・・・もうすぐ夜明け
バスルームから出てきた健人にさっそく訊ねた。
「ね、どうしてこの家には時計がないの?」
「んー・・・体内時計があるから?」
「ウソばっかり」
「バレた? オレ、時計の音が嫌いなんだよね」
「へぇ。珍しいね」
「そ?」
健人はちょっと笑って美波の隣に体を投げ出す。
「なんかさ、イヤじゃない? あの迫ってくる感じ」
「わかんない」
「だよね。オレもちょっと変かもって薄々気付いてはいたんだけどね」
「いいじゃん。みんな苦手なものくらいあるよ」
「そだね。・・・可愛いじゃん。髪、ストレートだったんだな」
健人の指が美波の髪に触れる。愛おしそうに目を細め、くくっと笑う。
「寝よっか。もう4時過ぎたんじゃないかな」
「何でわかるの!?」
「だから体内時計があるんだって。おいで」
健人は立ち上がって美波に手を差し出した。
少し迷ってその手を握る。
にこりと微笑み健人は寝室へ歩き出した。部屋の半分はベットなのではと思うほど大きなベットに入り美波に手招きする。
「そんなに警戒すんなよ。傷つくじゃん」
「だって・・・」
「大丈夫。オレが美波の嫌がることするわけないじゃん」
健人の笑みにホッとし、美波はおずおずとベットに入った。
「ちょっとだけ、抱きしめてもいい?」
「聞かないでよ・・・そんなの」
「そ?」
健人の腕が美波を包む。
暖かくて、優しくて、胸が詰まる
健人はそっと美波の背中を撫でて頭の天辺にキスを落とした。
「おやすみ、美波」
一瞬だけ美波を抱く腕に力がこめられすぐに緩まる。
美波は健人の胸にそっと頬を寄せた。規則正しい心音が心地よく瞳を閉じた。
さっきは驚きすぎて動揺したけれど・・・
少しずつ、健人を知っていきたい
きっと、私は今以上に健人を好きになる
確信めいたものが美波の心に芽生えた。