11話 忘れられぬ記憶
 美波はぼんやりと『あの日』のことを思い出していた。



 この世界に入って一番最初に出会い、誰よりも尊敬し、慕っていた女性がいた。

 それが「クラブ“OZ”」のNo.1ホステスだった白石 麻衣。



 キレイで聞き上手だった麻衣は、どの客からも愛されていた。

 美波はそんな麻衣に憧れていた。麻衣のようになりたいと、ヘルプに入った席で接客を必死で学んだ。

 ぎこちない接客態度が初々しいと取ったのか、麻衣の客はいつもヘルプに美波を呼んでくれた。

 麻衣もまた、大切な客のときは必ず美波をヘルプで呼んでくれていた。

 一人っ子だった美波は、麻衣を姉のように慕い、閉店後に2人で食事へ行ったり麻衣の家へ泊まりにいったりしていた。



『あの日』までは――。





「麻衣。今夜、美波ちゃん誘ってもいい?」



 その男は満面の笑みで美波の肩を抱き寄せながらそう言った。



「もう修司さんてば、酔ってるの?」



 美波はいつものように麻衣のヘルプで入った赤城 修司の水割りを作りながらじろりと睨んだ。



 修司は麻衣の恋人だった。

 美波は苦笑いしながら嗜めるように修司の腕を下ろした。



「美波ちゃん、少し薄めに作ってあげて」



 そう言う麻衣に美波は小さく頷き、水割りを修司の前に置いた。



「ひでーな。酔ってないっつーの」



 頬を膨らませた修司に美波は微笑みながら小さな声で言った。



「修司さん、彼女がいるのに他の女の子口説いちゃダメですよ」



 そうそう、と麻衣が頷くと修司は大きなため息を吐いた。



「なーんだ。ばれてたんだ。俺さー来月結婚するんだよね。煩くってさー俺のオンナ」



 美波は驚きの表情で、麻衣を見上げた固まった。てっきり麻衣のことだと思ったし、当の麻衣も同じく呆然としていた。





 閉店後のロッカールームから麻衣の切羽詰った電話の声が響き漏れる。



「ちょ、ちょっと待ってよ! 修司、私のことスキだって言ったじゃない!」



「え!? ・・・そんな。ウソ・・・でしょ? ちゃんと説明してよ!」



 フロアで麻衣を心配して待っていた美波は、思わず胸の前でぎゅっと自分の手を握り締めていた。





 声がしなくなってどれくらい経っただろうか。

 美波はそっとロッカールームのドアを開いた。麻衣はロッカーの前で蹲っていた。



「麻衣さん・・・」



 静かに声をかけると麻衣の肩がピクリと揺れた。



「私・・・遊ばれてたみたい。バカだよね・・・今頃気付くなんてさ」



 俯いたままぽつりとつぶやく麻衣に何と声をかけたらいいのかわからず、美波はそっと麻衣の肩を抱いた。



「美波、私さ、枕・・・やってたんだね。彼女なんかじゃ・・・なかったんだね」



 声を詰まらせる麻衣に、美波はただぎゅっと抱きしめていた。




 その翌日、店を休んだ麻衣は次の日から普通に出勤していた。

 遠慮がちに声をかけた美波に麻衣は笑いかける。



「なんて顔してんの。もう大丈夫だから。仕事しよ、仕事」

「・・・はい」



 その日最初の客は常連で税理士の松田という男だった。



「麻衣ちゃーん。今日もキレイだねぇ」



 松田はいやらしい顔で麻衣の太ももを撫でる。

 微笑みながら松田に寄りかかる麻衣に美波はヒヤリとした。



「麻衣さん!」



 思わず口調を荒げた美波に麻衣は妖艶な笑みを浮かべた。



「ねぇ、松田さん。今夜・・・飲みに行きませんか?」

「麻衣さん!」



 美波の声を満足そうな笑みを浮かべる松田が遮る。



「いいねぇ。麻衣ちゃん、なかなか付き合ってくれないから嫌われてるのかと思ったよ」



 結局、松田は閉店後に麻衣と共に店を去っていった。






「麻衣さん! 昨日のあれ、なんですか!? ちゃんと説明してください!」



 翌日、ロッカールームで麻衣を問い詰める美波に麻衣はクスリと笑った。



「美波・・・、1回や2回の枕なんて、同じことよ。指名が取れればそれでいい世界なんだから。ま、身持ちが硬いのも結構だけどね」

「麻衣さん本気・・・じゃないですよね? 冗談ですよね?」

「バカね、美波。男なんて、ちょろいもんよ。あの人ったら、たった1回で落ちるんだから。営業だなんて思ってもいないでしょうね」



 さもおかしいとでも言いたげに麻衣は笑う。


 黙り込む美波に口元に笑みを浮かべた麻衣がぽんと肩を叩く。



「ゲームなの。この世界は」



 その日から麻衣は変わってしまった。



 いつも自分の客には美波をヘルプにつけていた麻衣が、マネージャーの城野にヘルプはいらないと申し出、他のホステスも寄せ付けなくなった。

 それから1年は麻衣の客が連れを率いて指名を繰り返し、麻衣の指名数も上がり続けた。

 しかし、その後はぱたりと指名がなくなり、クビになる頃には『頼めばやらせてもらえる』と噂を聞きつけ、地方から来た客からの指名に留まっていた。





 だから。


 麻衣をあんな風に捨てた「男」が美波は許せなかった。

 愛情もないのに麻衣を抱く「男」が憎かった。

 美波にはヒトを信じるという当たり前のものが完全に欠落した。



 この世界に飛び込んだあの日と同じ。



誰も信じない

人間は嫌いだ




鶉親方 ( 2018/08/25(土) 00:06 )