10話 動揺
 気がつくと店内にいた客はみんな帰ったらしく、随分と長い時間ここにいたことに驚く。



「ごめん。もう閉店?」

「いいや。美波がまだ飲めるなら開けとくよ」



 健人は微笑んでグラスを拭く。


 ちょっと考える仕草を見せ、奥に残っていた従業員を呼び、閉店の準備をした。



「やっぱ閉店するんじゃない。帰るよ」

「いいのいいの。店は閉めるけど飲んでて。オレも一緒に飲むから」



 そう言って従業員を帰し、健人は美波の隣に座る。



「何で座るのよ?」

「だってもう仕事は終わったし。公志、美波の分、チェックしといて」

「了解ー」



 公志はチェックシートをトレイに乗せ、カウンターに置いた。



「安すぎない? シャンパン開けたよね?」

「平気平気。オレらも飲んじゃったしね」



 納得できない美波は戸惑った顔で1万円をトレイに乗せるも、きっちり5千円札が戻ってきて尚も戸惑う。



「いいって。今度はちゃんと払ってもらうからさ」



 健人はそう言って微笑み、公志にビールを頼む。



 カウンター越しに何か健人に告げ、公志は美波に向かって微笑んだ。



「じゃ、美波ちゃんはゆっくりしてってね。俺は帰るから」

「え!? いいよ。私も帰る」

「いいから。たまにはゆっくりしていきなよ」



 結局、公志はそのまま店を出て行った。



 何となく二人きりというのは落ち着かない。ちらりと時計を見ると既に4時になっていた。



「ねぇ、やっぱりもう帰るよ」

「なんで? オレと二人になるの怖い?」

「別に・・・ってか、変なことしないでよ?」

「んー? 変なことって?」



 健人はにやりと笑い首を傾げる。ムカツクと思いながら美波はグラスをあけた。



「次は?」

「・・・あんたと同じでいい」

「そう?」



 健人はちょっと笑ってカウンターに入り、サーバーでビールを注ぐ。


 グラスを差し出し、そのままカウンターに頬杖をつく。



「美波って、彼氏いる?」

「は? あんたに関係ないでしょ」

「関係ある。大ありだよ」

「なんで?」

「オレが好きだから」

「はぁ?」

「オレが美波を好きだから」

「・・・何ホストみたいなこと言ってんのよ」

「ばーか。ホストじゃないっつーの」

「だったらそんな台詞、口にしないほうがいいわよ」

「本気だけど」

「残念ね。私、そういうの信じない主義なの」



 美波はぐいっと一気にグラスをあけ、スツールから降りた。



「帰る」



 健人はグラスをさげ、美波を追って店を出た。



 鍵を閉め、エレベーターを待つ美波の横に立つ。



 乗り込んだエレベーターには誰も乗ってこない。


 沈黙のままエレベーターは下降する。



「どうすれば信じる?」



 突然口を開いた健人に美波は怪訝な顔をした。



「どう言ったら本気だってわかる?」



 何のことかと考えを張り巡らせて、あぁ、と思う。



「さっきの?」

「そ」

「どう言われても信じないよ。人の気持ちほど不確かなものはないって、知ってるから」

「何それ?」

「わからなくていいよ。私論だから」

「ふぅん」



 再び沈黙が続く。

 1階に着いたことを知らせる音が鳴り、静かに扉が開いた。

 じゃ、と呟き、外に出ようとした美波の腕をものすごい力で引っ張られる。

 何すんの、と言いかけた美波は、健人の目を見てドキリとした。



「な・・・に?」



 せっかく1階に着いたと言うのに、エレベーターは美波を乗せたまま扉が閉じる。

 健人に引っ張られ、バランスを崩したままの美波はそのまま健人の腕の中にいた。



「信じろよ。オレ、おまえが好きだ」



 とくんと健人の心臓の音が聞こえる。



 頭に健人の吐息がかかる。


 しばらく呆然としていた美波はハッとして健人を突き放す。




 急いで開ボタンを押し、開いた扉から逃げるように走り去った。





 美波は戸惑っていた。


 抱きしめられたからじゃない。



 愛を囁かれることなんて仕事で慣れていたし、酔った客に抱きしめられたことは何度もある。



 それなのに、動揺して混乱した自分に戸惑っていた。



誰も好きにならないと決めたのに


堕ちていく麻衣を見てそう決めたのに



 自宅に戻り、ベットに倒れこんだ美波はスーツを脱ぐこともできずにそのまま枕に顔を埋めた。


 もうすぐ夜明け。

 また、新しい1日が始まる。



■筆者メッセージ
10話更新し忘れてました。すみません。
鶉親方 ( 2018/08/26(日) 00:21 )