01
窓を開けないとムシっとした暑さがある。人間は時が過ぎるのが年々早くなる、というが自分も例外ではないようだ。溜め息ばかり付いてた頃からもう夏か。教室の窓に手をかけ祐樹は外を眺めていた。数日前に夏休みに入った学園はとても静かだった。無論、普段から休みのようなものだ。だが生徒は授業を受けるわけでもないのに何故か毎日学校に来ている。それが祐樹は不思議だった。その疑問を朱里に聞いたところ、出席数が足らないとこの学園から卒業出来ないから、だそうだ。ヤンキーなのにちゃんと卒業のことを考えているとは感慨深いものがあった。多少テストの点数も関わってくるのだが、この学園の生徒への評価はほぼ出席で決まっていた。
「なぁ、先生。ここどうするんだ」
聞こえた声に祐樹が振り向くとそこにはしかめっ面で問題用紙を見ている内山奈月が居た。祐樹は奈月の隣に座り細かく問題の解き方を教える。だが奈月の眉間に深いがシワが刻まれただけだった。
「んー、言われてもわかんねえ」
「まぁ、そうだろうと思いましたよ」
夏休みに入った学園だが、奈月は1人で祐樹と補修を受けていた。出席さえすればなんとか進級・卒業出来る中で奈月はテストの点数が最低ラインにすら到達していなかった。
「奈月さん。この補修さえ受ければ、進級はなんとかなるんですから頑張りましょう」
「おう。火鍋のみんなに迷惑かけるわけにはいかないからな」
しかめっ面な顔を保ちながら、奈月はうーんと背筋を伸ばす。
「でも奈月さん、社会科の成績だけは学年でトップなのに……」
朱里や美音を含めその他の生徒達は5教科の平均は40点程だった。これでも充分低いが奈月は4教科の平均は1桁台だった。しかし、なぜか社会科のテストだけ満点に近い点数を叩き出していた。採点する際、祐樹は思わず声をあげた。
「私の頭の中には日本国憲法が全て入ってるんだ」
「えー本当ですか?」
奈月は自分の頭を指差し、自慢げに答えた。にわかに信じ難い話に祐樹は首を傾げる。
「本当だ! そのせいでほかのことが全く覚えられんのだ」
そういうことか、今度祐樹はガクンと首を下げた。奈月はいつも日本国憲法について書かれた本を持ち歩いていた。子供の頃に祖父から貰ったらしい。奈月の家は貧しかったために奈月は漫画や絵本を買うことが出来ず、代わりに日本国憲法の本を読んでいたという。その結果、日本国憲法を全て暗記してしまった。
「奈月さんが『ケンポウ』って呼ばれているのはそういうわけだったんですね」
「そうだ。まぁ役には立たねえけどな」
これは個性として伸ばすべきなのか、それとも日本国憲法に使っている脳を他のことに使えというべきなのだろうか。教師として悩むところだった。
「終わったー!」
試行錯誤の末、朝から昼までかかった補修はなんとか終わった。ほとんど付きっきりではあったが奈月は真面目に取り組んでいた。
「先生、一緒に昼飯食べようぜ! ウオノメ達も居るし」
「夏休みなのに火鍋のみなさん、ここに居るんですか」
「おう、補修があるっつったら付いて来てくれた」
「仲良いですね。でも、遠慮しときます。これから準備があるんですよ」
朱里や美音に会いたい気持ちがあった。だが、祐樹にはこれから憂鬱な予定が存在する。
「準備? なんかあんのか」
「ええ、まあ……」
いっそのこと投げ出して、火鍋でも食べようか。そう思ったが、投げ出したらぶん殴られそうな予感がしてならない。奈月が祐樹をじっと見ている。祐樹は開いている窓から外を眺めると、はぁ、と溜め息をついた。