07
「恋人の居る男は普通であれば、恋人への罪悪感が生まれるものだがお前にはそれが無いな。だがそれで良いんだろう? お前もヨガも、そしてお前のもう1人の恋人、お前を慕っている女達も」
「島崎さんは何でもお見通しなんですね。さすが杏奈が尊敬している先輩だ」
唇にはまだ遥香の温もりが残っていた。心なしか彼女の笑顔も一段と明るく見えている。
「今のは杏奈の養育費代わりだと思ってくれ。実を言うと私の初めの口付けだ。それでもヨガとの生活の一生分とすれば足りないか?」
「いやいやいや! そんな初めてを頂けるなんて光栄です充分です......でも、僕で良かったんですか?」
恐縮し、目をキョロキョロさせる祐樹に対して遥香は笑った。腕を組み祐樹をじっと見る。
「女はただで口付けはしない。いつも何か意味があるからするんだ」
「意味ですか......杏奈さんの養育費の為」
「それもあるが......まぁいい」
再び遥香は下を向いて笑った。最初出会った時の遥香は大きく見えた。だが目の前に立っている彼女は自分より身長も低く可愛らしい少女だった。
じっと遥香を見つめるとそれに気づいた遥香も見つめる。また長いようで短い時間が経過してた時、ガラガラと扉が開いた。
「なんやソルト、あんたもそないな男に興味あったんやな」
声の主は由依だ。
「あんたらの邪魔して悪かったな」
「なぁにちょっとした気まぐれだ」
由依とすれ違うように遥香は祐樹の元から去っていく。寂しさを感じた祐樹はその背中を目で追った。
「やっぱりあんたは普通のやつとは違うようやな。ソルトがあんなに心を許しているのを見たのは初めてや」
「そう、なんですかね。僕は島崎さんに受け入れてもらえたのかな」
「まぁソルトとあまり接したことがないからわからんやろうけど、いつもは雪のように白いあいつの頬が紅くなってる」
もしかしたら遥香も一世一代の決心をして初めてのキスを捧げたのかもしれない。「キスの意味」それを徐々に理解してきた祐樹は再び自分の唇に触れた。
「お、サイトウ発見! ヨガ、サイトウ居たぞ!」
元気な子供の声は李奈。飛び出すように祐樹に駆け寄ると後ろから杏奈とゆりあが並んで出てくる。卒業を迎えた2人の手には卒業証書が入っている筒が握られていた。
「見ろよ! 卒業証書なんて初めて貰った! サイトウのおかげだ」
筒から取り出した卒業証書を開き祐樹に見せつける。名前の欄には『川栄李奈』と書かれている。これは祐樹が書いたもので杏奈の名前も同様だった。
「李奈さん自身が一歩踏み出せたおかげですよ。今の李奈さんには明るい未来が待ってますからね」
「うん! めっちゃ頑張るから! サイトウも店に来てくれよ!」
「必ず行きますよ。そのときは皆さんも一緒にね」
担任ではないが彼女達も教え子になるのだろう。この一年でこんなにも慕ってくれる生徒が出来るとは。
ふと杏奈を見ると、少し後ろの方で祐樹を見ていた。クールという名の恥ずかしがり屋の杏奈、何かを察した祐樹はゆりあに目配せをする。目があったゆりあは杏奈をチラッと見ると『はいはい』と仕方無さそうな表情を浮かべた。
「さ、音楽室でウオノメ達が打ち上げの準備してくれてるから手伝いをしないとね。おたべ」
「ん? ああそうやな。先生も後から来てや。行くぞバカモノ」
「えーまだサイトウと話したい......うぐっ」
「いいから行くよバカモノ」
ゆりあが李奈の首に腕を回し無理やり引きずっていく。杏奈に一つウィンクをした。
ガラガラと扉が閉まる。すると杏奈が飛びつくように抱き着いてきた。
「杏奈、卒業おめでとう」
「うん。ありがとう。祐樹のおかげ」
「別にみんなのいる前でそういう話し方しても良いんだよ?」
「無理、恥ずかしい。甘えてるとこ見られたくない」
杏奈は祐樹の胴体をギュッと抱きしめ胸に顔を埋める。2人きりになると衝動が抑えられないことがよくある。みんなのいる前では祐樹から距離置くように離れいつものようなぶっきらぼうな喋り方をしてしまう。こんなに好きなのにもっと見せびらかしたいのに。人前でも手を握ったり祐樹に密着できる朱里が羨ましいとさえ思った。
「朱里と同じく甘えん坊だけど、杏奈の方が大人って事だね」
「バカモノ程じゃないけど、朱里は子供過ぎだよ」
人懐っこい朱里、ヤンキーの部分は祐樹に完全に削られてしまったのか普通の純粋な女の子だった。だからこそ杏奈も素直に受け入れられた。ただ単に祐樹の事が好き。それしか伝わってこなかった。
「子供過ぎだけど祐樹と同じく変態だもんね」
「こら。そんなこと言わないの。朱里の心覗いて嫉妬してたくせに」
「でもちゃんと待ったよ。祐樹の事本当に好きだから。今日から正式に祐樹の彼女は2人。よろしくね」
「うん。よろしくお願いしますね」
再び顔を埋める杏奈。どこかモゾモゾしていた。杏奈の頭を優しく撫でると杏奈は囁いた。
「ねえ......ここじゃダメ?」
「何が?」
「......初めてのキス」
「杏奈がしたいならいいよ。でも杏奈から、ね」
顔から火が出たように熱くなる。くっと顔を上げ祐樹を見つめると、今この世界には2人しか居ないんじゃないかと思った。ゆっくりゆっくり唇を近づけた。
少しだけ冷たくなった杏奈の唇は祐樹の熱を持った唇に触れるのだったーーーー
しかし、そんな2人だけの世界に突然亀裂が入る。
「ヨガ! パーティーの準備出来たぞ!!」