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厨房にある水道から水滴が落ちる音と紙が擦れる音だけが店内に響いた。いつもは騒がしい李奈もこの雰囲気に習って隣で静かにしている。その表情は不安げで元々小柄な身体がさらに小さく見えた。
「ふーん。間違って卒業してしまうとはいかにもマジ女の生徒らしいというか」
向かいに座っているみなみは一枚の書類をじっと見つめ、笑い出した。祐樹にとって久々に訪れた亜粗美菜。今回は食事をする為に来たわけではなく李奈の卒業後の為だった。ラッパッパの面談からほぼ毎日、企業の資料を漁り勤め先を探していたがどれもしっくりいっていなかった。勿論、李奈がその気であればどこだっていいのかもしれない。その中で白羽の矢が立ったのはこの亜粗美菜だった。
「みなみさん、笑い事じゃないっすよ......」
腹を抱えて笑っているみなみをチラチラと見ながら俯く李奈。彼女も祐樹が教えるまでここがみなみの店とは知らなかった。立場が上の者には失礼があってはならない。それがヤンキーのルールなのだろう。だとしたら自分にもっと敬意を払って欲しいものだが。そんなことを考えても仕方がないと思い、祐樹は切り出した。
「これは僕からの頼みでもあります。李奈さんの気持ちを最優先したくて、実際就職先に苦労してまして中々見つからなかったんです。それでここなら信頼できる人が居ますし不安は取り除けるんじゃないかと」
「あんたは相変わらず生徒に甘いね〜。厳しくして社会に送り出すのも教師の仕事じゃないのかい?」
「......それはそうですけど」
祐樹は言葉に詰まった。甘いということは分かっている。今までも不安で助けを求める彼女達をほっとくことが出来なかった。そのために一線を超えてしまうことも度々あった。自分はそういう性格なのだろう。
「まぁ、あんたらしいよ。あんたは優しさでマジ女を変えた。私はそう思ってる」
腕を組んで微笑みを見せたみなみは一つため息を吐いた。
「あ、あの。みなみさん」
「ん? なんだバカモノ」
ふと、祐樹は李奈を見た。涙をぐっと堪えたような表情を見せる。いつの間にか小さな手は祐樹の手を握っていた。不安を少しでも取り除けるように、1人じゃないよ、と伝えるように握り返した。
「ウ、ウチはバカで力ぐらいしか取り柄がないですけど、せっかく川藤が頑張って探してくれたから頑張りたいんです......! みなみさんに迷惑ばっかりかけると思うんですけど、仕事早く覚えますから、ここで働かせください! あいたっ!」
震えながら出した声、李奈は頭を下げた。が、勢いを付けすぎて頭をテーブルをゴツンとぶつけてしまった。
祐樹はこの生徒にこんなしっかりとした部分があったのかと思った。人は成長していく。それが1人で生きていかなければならないとなると尚更なのかもしれない。
「情けないことですが、僕よりみなみさんの方が李奈さんの今後を導けると思うんです。人脈も僕より広いですし、李奈さんに合ったモノを見つけられるんじゃないかって。ただ、みなみさん1人で切り盛りしてるということはアルバイトとは言え、人を雇う程余裕は無いのかもしれませんが......」
みなみ以外の従業員が居ないために、ランチタイムには足を止める暇も無いほど走り回っている彼女の姿を見たことがある。きっとギリギリで賄っているのだろうと推測していた。
「ウチは金貰わなくても働きますよ!」
頭をさすっていた李奈は再び、みなみに真剣な眼差しを向けた。腕を組んでじっと目を瞑るみなみ。その状態が数秒を続くと、パッと目が開いた。
「ふん。ナメんな。困ってる後輩が頼ってきたんだぞ。それにその後輩を無給で働かせるなんて私の名が廃る」
ギラッとしたみなみの目。『総監督のみなみ』と呼ばれていた頃はこうやって周りの人間から支持を得ていたのだろうか。
「バカモノ。お前が良ければ明日からでも店に来ていいぞ。もう卒業も決まってるし、いいよな先生」
「ええ。勿論です。みなみさん、ありがとうございます」
祐樹は頭を下げる。すると李奈もそれにつられるように頭を下げた。