松井玲奈
01
 特攻隊のように玉砕覚悟で立ち向かう人がいれば、諜報員にように外部との連絡を取ろうとしている人もいました。
 松井玲奈です。彼女はこの危険を誰かに伝えようと、撮影場所まで戻っています。携帯電話もそこにあります。道中、何度も道を間違えました。初めて来たことに加え、恐怖からパニックを起こしていたからです。
 
 何度も涙は頬を伝いました。そのたび、彼女はそれを拭っては懸命に走り抜いてきました。白いスニーカーは泥にまみれ、整えられた髪型はぐちゃぐちゃで、前髪が額にベッタリとくっ付いています。
 どのくらいの時間が経ったのか。時計を持っていない彼女に時間を知る術はありません。とにかく全員の無事を祈るばかりです。
 
 ようやくたどり着いた並木道。蝉が時雨のように鳴き、木の葉がアーチを描いたかのようなこの場所は、奥に撮影所があります。木漏れ日から漏れる光りは、希望への道しるべか。彼女は痛む足に活を入れるように、駆けようとしたその時でした。
 
「玲奈さん見っけ」
 
 背後から子供のように高い、弾んだ声が聞こえたのです。
 
「ひぃ!」
 
 それは驚きというよりも、恐怖。悲鳴を上げた彼女は、振り向くことなく、全力疾走で『彼』から逃げ出しました。
 
 並木道を全力で駆け抜けます。走り続けている足が悲鳴を上げていますが、彼女は止まることなく、走り続けています。死への恐怖は、自分が思い描いていた肉体の限界を超えるのだと、彼女は身を持って体験したことでしょう。
 しかしそれももう限界に近づいて来たようです。本人の中では走っているつもりですが、傍から見ればウォーキングをしているかのよう。悲鳴を上げていた足が、痙攣を起こし始めたようです。
 
「どうして着かないのよ」
 
 もうとっくに撮影場所まで到着していてもおかしくありません。それなのに、景色は変わらず、並木道のまま。
 
「もうお終い?」
 
 背後から聞こえてくる声。松井玲奈は背後を振り向くことはしません。
 もし、背後の景色が並木道に入ってすぐのところであったら、泣いてしまうから。今ならこの涙は汗のせいだと言い聞かせられます。
 
「『パァン』でいい?」
 
「嫌だよ……。死にたくないよ」
 
 少年の顔が穏やかになりました。といっても、松井玲奈にその顔は分かりませんが。
 彼はそのまま銃を取り出し、彼女の震える背中に標準を合わせます。華奢な背中。もしかしたら九人の中で最も細い背中かもしれません。
 
「バイバイ」
 
 蝉は相変わらず鳴き続けています。ミーンミンミンミーン。ジーッジーッ、と。


はるる ( 2013/09/19(木) 22:17 )