篠田麻里子と松井珠理奈
04
 来たな。篠田麻里子は足音から、少年がこちらに向かっていることを察しました。近くで物音がし、彼女は目を覚ましました。辺りを見渡せば松井珠理奈がいません。おそらくもう――。
 躁鬱(そううつ)状態のように、何もやる気が起きません。運命に抗うことは気力と体力がいることを彼女は知っていました。それがもう底をついたのです。
 
 靴音がピタリと止みました。コンコンと控えめなノックの音がします。彼女は掠れた声で「はい」と言いました。その声は小さく、ドアの先にいるはずの彼に届いたのか分かりません。
 それでもドアは開かれました。蝶番(ちょうつがい)がギギギと鳴るドア。まるで彼女の代わりに悲鳴を上げているかのようです。
 
「麻里子様、みっけ」
 
 幼い声。それだけを聞けば、彼がお姉さんに相手をしてもらっているのだと微笑ましく思えます。
 しかしそれとは不釣り合いなボウイナイフと、赤く染まった上着。それを見た篠田麻里子はすべてを悟りました。
 
「『パァン』でも『グサッ』でも、どっちでも構わないわ」
 
 彼女の言葉に少年は一瞬だけ驚きましたが、それはすぐ笑顔に変わりました。
 
「じゃあ『グサッ』でいいね」
 
「どっちでもいいわよ。ねえ、それよりもじゅり坊はどうなったの?」
 
「見つけたよ」
 
 篠田麻里子は「そう」とだけ言うと、深く息を吐きました。ベッドから起き上がる気力は完全になくしました。植物人間のように微動だにしません。
 
 一歩一歩彼女に近づく少年。ツンと血のにおいがします。篠田麻里子は顔をしかめると首だけを少年に向けました。
 
「顔を傷つけたらただじゃおかないわよ」
 
「大丈夫だよ。心臓を一突きするから」
 
「それならいいけど。痛くしないで。苦しませないで逝かせなさいよ」
 
「わがままだね」
 
「どうせ死ぬ人間の言うことぐらい尊重しなさいよ。レディーファーストでしょ。年上を敬いなさい」
 
 彼女の言っている言葉は少年には難しいように思えます。しかし篠田麻里子には、彼には伝わっているのだと実感がありました。
 彼は少年の仮面をかぶった悪魔なのです。こちらの警戒心を下げ、するりと懐に飛び込む最低最悪な悪魔。
 
「畜生……」
 
 死ぬと分かっていながら流れる涙に言ったのでしょうか。それとも少年に向けて言ったのでしょうか。どちらにせよ彼女が最後に言った言葉。その言葉を聞いた少年はニッと微笑むとボウイナイフを彼女の心臓目がけ思い切り振り下ろしました。


はるる ( 2013/09/06(金) 18:39 )