19 このままで(女子side)
ただ、彼を見ていることしかできなかった。何も言い返せない、言い返してしまったらどんなことが起こるのかわからなくて恐怖心さえ芽生えてくる。怒ってしまったのかそのまま私に背を向けてしまう。
「僕とみなみさんが付き合って、飛鳥さんは素直に喜びますか。少なくとも僕は僕の気持ちがわからないまま付き合うのは自分が嫌だし何しろ相手に失礼だと思うな。」
祝福はするのだろうが心のどこかでは後悔することばかりであろう。彼の恋愛観は間違っていないし、むしろ的確な意見だ。僕の気持ちと言われ、彼にも相手を想う気持ちが片隅に小さくではあるがあるようなそんな気がした。
「好きっていう感情ですか。」
その気持ちを引き出すのはまだ誰もできていない。できていないからこそ恋愛に興味がないし、彼女も今までいなかったのだろう。
なぜか、無意識に彼のだらんと垂れている指に触れる。もし彼が誰かに好きという感情が生まれてしまうのなら。頭の中がぐるぐるとそのことでいっぱいになってしまい、咄嗟に彼の人差し指を握る。彼の指はビクッと反射的に反応した。
「バスが来るまでこのままにさせてください。」
せめて今だけは離れないでいてほしい。彼は何も言わずただ目の前に過ぎていく車をじっと眺めている。なにを考えているのだろう。きっと、またいつものように違うことでも考えているのだろうか。
「生田先輩はなにもわかってないんですね。」
「え。どういうこと。」
あんなにも熱烈なアピールを受けたり、いまこうやって一緒にいる状況だというのに男だというのに何もリアクションを見せたりしてくれない。だけど、もうそんなことはどうでもよかった。
「みなみの気持ち、それと私の気持ち。」
自分で言葉を伝えていて感情が爆発寸前だった。みなみは生田先輩のことが好きだ。もう
それは本人も自覚して行動にだって表している。私はその一歩を踏み出すのが怖かった。だからこそ、この一か月間ずっと迷ってきていた。好きになっていいのかなんて、今のままのほうがいいんじゃないかって。
「私、わからないんです。今まで好きな人や憧れの人はいました。付き合っていた人だっています。ただ…。」
「ただ?」
彼と目が合った瞬間、言いかけていた言葉が出なくなる。過去の記憶が蘇って、私の頭に問いかけてくる。
あなたは前の彼を幸せにできなかったのに、生田先輩を幸せにできるのか?
一瞬にして決意が揺らいだ途端にバスのクラクションの音が耳に入ってくる。
「ごめん、バスだ。傘ありがとう。」
また、何もないまま終わってしまうのだな。空しく自分の手を彼の人差し指から放す。もういっそこのままの関係でいたほうがいいのかもしれない、神様はそう望んでいるのだろう。
「はい。気をつけて。」
「そうだこれ飛鳥さんに。これね、僕の中で一番わかりやすいと思ったやつなんだ。いろんなところで探したんだけどなくてさ。」
思い出したかのように彼はカバンから一冊の本を取り出す。それは先ほどまで奈々未さんが預かっていた本そのものだった。見間違いではない、持った感触も触り心地もまさに同じものだ。本屋での出来事が鮮明に蘇ってくる。
「これって、さっきの。」
バスが停まり、ゆっくりと扉が開く。まさか、渡したい相手が自分だったなんて。なんて言っていいのかわからなかったが先ほどのまでの不安が真っ白に消えていく。
「読んでてわからなかったら聞いて。連絡先挟んでおいたから。」
生田先輩は早口で必要な用件だけ話し終えるとそそくさとバスの車内へと入っていった。ありがとうございますなんて言ったって聞こえないから、ここは手だけ振ろう。彼は窓際の見える席に座ったおかげかこちらの様子に気づく。彼はぎこちない笑顔を浮かべながらこちらに手を振り返してくれる。バスが出発しはじめドンドンと彼との距離が遠くなっていく。
受け取った本のページをめくっていく。すると、一枚の紙切れがでてきて、そこには多少乱雑に生田先輩の電話番号とメールアドレスが書いてあった。今時、IDだけあればいいのにあの人はどこまで律儀なのだろうか。思わず雨の中バス停で一人、紙切れ一枚で笑ってしまう。
もう、心配しなくていいかもしれない。先のことは自分で何とかすればいい。先ほどの迷いが嘘かのように自分の頭がすっきりとしている。もう見えなくなってしまったバスの方向を見て呟く。
「私はあなたが好きです。」
迷いを捨てた、飛鳥の気持ちに呼応したのか雨が一瞬にしてピタリと止んだ