第六章「ノルマンディー上陸作戦」
03
 女の子と対等に喋れるようになってきた――これまで全く話せなかったというわけではないけど、要件がなければ積極的に話せなかった僕にとって、先ほどの福岡さんとの会話は一つの壁を打ち破れたような気がしてならない。
 ベルリンの壁よりも高く厚い壁。それが崩れつつあるのは、力がついてきた証拠でもあった。僕は静かに手ごたえを感じていると、教室の扉の前で迷った素振りを見せる子を見つけた。
 
 その子を見つけた瞬間、僕の身体に稲妻が走った。何を隠そう、その迷った素振りを見せている子こそ、江籠さんではないか!
 緊張が全身を駆け抜ける。僕は思わず逃げ出したくなった。なんで江籠さんがこんなところに?
 考えられるのは、江籠さんもこの塾へ通い始めたということだけだった。あまりの出来事に、僕は真っ白な頭の中でそれだけしか考えられなくなっていた。
 
「あ、あの……」
 
 震える声が情けなかった。さっきの福岡さんの時のように、喋られないのが情けなくて仕方なかったけど、僕にはこれが精一杯だった。
 
「ぼ、僕を知っていますか? いつも行くコンビニの」
 
 いつも行っているのは僕で、江籠さんはそのコンビニで働いているだけなのに、僕の言葉はめちゃくちゃだった。
 
「え? ああ、知ってます……」
 
 急に話しかけられたものだから、江籠さんは怯えた目で僕のことを見ている。
 
「よかった。あの、店員さんもここへ?」
 
 あえて、僕は店員さんと呼んだ。苗字を知っていると、気味悪がられると思ったからだ。
 
「はい。でも、教室はここでいいのかなって」
 
「そうですか。たぶんここでいいと思いますよ」
 
 それはむしろ願望であった。なぜなら、ここのクラスは僕が通うクラスだったから。
 
「もし違っていたら、先生に言えばいいだけだと思うので。とりあえず入りましょう」
 
 いつもの僕ならば、さっさと自分だけが入っていたはずだ。だけど、今の僕は違った。グイグイと引っ張っているではないか!
 肩に下げたカバンの中から発せられる壺のご利益。もはや疑う余地はなかった。この壺は、本物だ。
 
「まだ授業は始まらないので、とりあえず座って待っていましょうか」
 
「はい」
 
 さりげなく江籠さんを壁際の席へ誘導し、彼女が逃げられないようにする。彼女が席へ座ると、何食わぬ顔で僕は隣の席へと腰を下ろした。
 千載一遇のチャンス――この機を逃すわけにはいかなかった。僕の集中力は、限界まで高まりを見せている。
 
「まだ授業は始まらないんですよね? あの、ちょっとお手洗いに」
 
「ああ。出てすぐ右のところにあります」
 
 女の子らしく、ハンカチを持っていく江籠さん。きっとガサツな奈々未姉や白間さんだったら、手ぶらで行くことだろう。
 ああ、なんて女の子らしいのだ。トイレへと向かう江籠さんの背中を見つめながら、僕はそんなことですら感動をしている。


( 2015/10/04(日) 06:29 )