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一体何が起こったというのだろう。僕は慌てて先ほどまで覗いていた場所へ戻った。
江籠さんはレジにいる大学生風の男と中国人の男に会釈すると、そのままバックヤードへと行ってしまった。
もしかして、急きょシフトに入ったのかもしれない。いつもより、時間を遅くして。僕の中で、昨日店長と話していた江籠さんの姿が思い浮かぶ。
「お疲れ様です」
バイトを終えた江籠さんがバックヤードに戻ると、店長がパイプ椅子に腰かけ、パソコンを渋い顔で見つめていた。
「おお、お疲れさん。なあ、明日入れないか?」
「明日ですか?」
江籠さんはカバンの中から手帳を取り出し、スケジュールを確認する。
「そうなんだよ。明日本当だったら俺が入るはずだったのに、急に店長会議が入ってさあ」
言い訳がましく言う店長は、パイプ椅子に深くもたれ、頭の上で手を組んだ。古い椅子は、軋んだ音を立てる。
「入れそう?」
「交代のタイミングにはちょっと間に合わないですけど、一応入れるといえば、入れます」
スケジュールを確認した江籠さんは、窺い見るように言った。真面目な君は嘘をついて、この場を逃れることが出来ない。
「本当か? なら、頼むよ。遅れてもいいから」
「分かりました」
「すまないな。明日は遅刻扱いにしないから」
三十代の小太りな店長はそう言って、親指をグッと立てた。それを見た江籠さんは、歯を覗かせた。
江籠さんの笑顔を独り占めした店長に、僕は妄想とはいえ、軽い殺意を覚える。何度も通っている僕だって、接客用の笑顔しか見たことがないのだ。ましてそれを独り占めするなんて。
マグマのような怒りが沸々と湧いてくる。まさか、あの店長、江籠さんの着替えを覗いていないだろうな。
バックヤードがどんな内装をしているのか分からないが、盗撮用のカメラでも仕込んでおけば、着替えのシーンを見ることは容易いだろう。
制服姿の江籠さんが、着替えている姿。ブレザーを脱ぎ、赤と黒のチェック柄のプリーツスカートに手をかける。ジッパーを下ろし、白く健康的な太ももが露わとなる。
細い指でYシャツのボタンを一つ一つ外していくと……淫らな妄想が広がっていきそうになり、僕は慌てて妄想を打ち消した。江籠さんで変なことを考えたくない。
そうこうしているうちに、バックヤードから江籠さんが出て来た。恰好は変わらず、制服姿だった。
レジの二人にまた会釈すると、江籠さんはコンビニから出て来た。僕は慌てて何食わぬ顔で携帯電話を取り出し、操作しているふりをした。
江籠さんがすぐ近くにいる。数歩歩けば、手が届きそうな距離だ。今なら声をかけて、ナンパをすることだって出来る。
大丈夫。僕は常連の客なのだ。いつも小難しい雑誌と苦いブラックのコーヒー。たまに肉まんを買う、自分と同い年ぐらいの男の子として、僕は江籠さんの中で認知されているはずだ。
口の中が急速に渇く。心臓はもはや張り裂けそうな勢いで鼓動を刻んでいる。
何でもいい。声をかけるのだ。脳がそう命令をする。
僕は、来た道を戻る江籠さんの後姿を見つめながら、口を開いた。