第一章「僕はホモじゃない」
03
 学校に到着すると、教室にはすでに何人かいた。小嶋君を見つけるや否や、慌てて駆け寄る向田さんを横目に僕は自分の席に座った。
 
「今日はいつもより遅かったね」
 
「バスで来たんだ。ほら、雨が降りそうだから」
 
 まだそれほど騒がしくない室内のため、小嶋君と向田さんのやり取りがどうしても耳に入って来てしまう。
 同級生の向田さんはとても可愛らしい人だ。噂では、何人か告白をして、全員玉砕しているという。間違いなく、彼女は小嶋君しか狙っていないようだ。
 人の色恋沙汰に疎い僕だって、向田さんの態度を見ていれば好きかどうかは分かる。あれは確かに好意を寄せている目だ。恋する乙女のビームを受けて平然としている小嶋君が心底羨ましい。僕なら好きではない人にもそんなビームをもらったら、心がグラグラと揺らいでしまうことだろう。
 
 自分の顔面偏差値はイケメンとはいわず、普通だと信じたい。チャームポイントは、遠くの文字ですら見える視力だ。これを姉に自慢したことがあるが、「老眼だと逆に遠くがよく見えるらしいわよ」とバカにされたことがある。
 誰が老眼だ。近くの物だってハッキリと見える。けれど、それを姉に言う勇気は僕になかったのが、残念に思えてならない。
 
 勇気――僕が最も欲しているものだ。それさえあれば物事はスイスイと進んで行くはずだ。こんなにヤキモキした気持ちになんてならないのだ。
 そう。僕の心はこの空のように重たい雲に覆われている。厚い鉛空は僕から勇気を隠してしまう。
 
 たった一言なのだ。たった一言。自分の気持ちを素直に言えばいいのだ。この学校に入学する際、面接で選んだ理由を言ったではないか。
 年齢=童貞。僕はまだこの図式を破れていないが、誰だって最初はこの図式だったはずだ。まさか脱童貞をして生まれた男なんていないはずなのだ。
 
「えー。そうなんだ」
 
 向田さんは楽しそうに小嶋君の肩を叩いた。とてもいい雰囲気だ。あれが、某ロックバンドが歌っていた『誰も触れない二人だけの国』なのか。
 姉がその某ロックバンドが好きで、僕も幼い頃から彼らの曲を聞かされていた。歌詞は何となく分かるようで、分からないまさに姉のようなもので、アルペジオがやたらと印象的なバンドだ。
 
「もう。翼君ったら」
 
 どうやら小嶋君が冗談を言ったようで、向田さんのスキンシップが更に激しくなった。二人だけの世界。二人だけの国。
 
「ルーララ宇宙の風に乗る」
 
 僕は曲を口ずさんだ。いつもこの曲を聴くたび、思うことがある。
 宇宙に風ってなんだろう。宇宙は無風のはずだ。
 
 きっとそれを姉に話したら「夢のない野暮な男ね。だから彼女が出来ないのよ」と一蹴されることだろう。
 だから僕は、気になってもあえて言わないのだ。僕だって彼女が欲しい。ちゃんと、好きな相手だっているのだ。


( 2015/10/04(日) 05:54 )