第一章「僕はホモじゃない」
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 風呂から上がると、奈々未姉はまだ僕の部屋にいた。ベッドに腰掛け、足を組んで僕が買った週刊誌を読んでいる。
 
「まだいたの」
 
「居ちゃ悪い? しかし週刊誌なんてよく買って来たわね」
 
 悪びれる様子もなく、まるで自室のようにくつろぐ奈々未姉。僕はどこへ座ろうかと悩み、しょうがないので勉強机の椅子に座った。
 
「別にいいでしょ。何を買おうが本人の自由なんだからさ」
 
「そうだけど、もうちょっと高校生らしい物を買って来ないのかねえ。ジャンプとか」
 
 麦わら帽子の男が描かれた雑誌は、確かに地味な表紙の週刊誌よりもはるかに魅力的だった。けれど、それを選ぶわけにはいかないのだ。
 
「そんな子供っぽい雑誌なんて卒業したのさ」
 
 本当は学校で、仲の良いクラスメイトが持っていたら借りて読んでいる。だって、面白いのだもの。
 
「ふーん。何か隠してるでしょ」
 
 奈々未姉の顔つきが変わった。探るような目でこちらのことを見ている。
 
「何も隠してないよ。さあ、僕はもう寝るから。出て行って」
 
「図星を突かれて、話を逸らしたな」
 
 奈々未姉の口角が上がる。獰猛な肉食獣が獲物を見つけたように。
 
「はい、解散。明日学校があるし、奈々未姉だって大学があるでしょ。早く寝なきゃ」
 
 ただでさえ寝起きの悪い人だ。幼い頃から弟であるはずの僕が何度も起こしては、機嫌の悪い彼女に殴られて育ってきた。そう。僕は親や友達よりも姉に殴られた回数の方がはるかに多い。
 
「まだ寝るのには早過ぎる。さあ、素直に言いなさい。今ならまだ穏やかに済まされるから」
 
 まるで犯罪者の自白を待っている刑事のようだ。たかが隠し事ぐらいなんだというのだ。人には人に言えないことなんて山ほどあるのに。
 
「だから隠し事なんてないんだって。しつこいな」
 
「あたしにそんな口調をきくんだ。ふーん。あんたも偉くなったものね。童貞のくせに」
 
 立ち上がって椅子に座る僕に詰め寄る奈々未姉。僕よりも低いとはいえ、女性にしてはスラリと高い身長で見下ろされると、威圧感があった。
 
「これと童貞は何の関係性がないでしょ。あと、高校生が童貞で何が悪い」
 
「あたしはあんたぐらいでとっくに初体験を済ませたわよ。あんたの話している小嶋君っていう子だって、もうとっくに童貞を卒業しているはずだわ。女の子にモテるんでしょ」
 
 奈々未姉の言う通り、小嶋君が童貞とは考えづらかった。今日で彼との距離が縮まったというのに、また引き離されたような気がする。
 
「そうかもしれないけど、とにかく今日はもう寝るから。どいて」
 
 立ち上がった僕は、奈々未姉の横を通り過ぎて、ベッドへ飛び込んだ。スプリングの軋む音がした。
 
「小嶋君でオナニーなんてしちゃダメよ」
 
「誰がするか。もう、早く出て行って」
 
 不敵な笑みを浮かべながら、奈々未姉はようやく部屋から出て行ってくれた。僕は深く息を吐く。
 奈々未姉のことは嫌いではない。これでも、唯一血の繋がった姉弟だ。しかし、相手にしていると疲れる時がある。
 
 こんな時は江籠さんの顔を思い浮かべるのが、最近では僕のブームだった。彼女の柔らかな笑顔を思い浮かべると、気分が落ち着く。ヒーリング効果があるのだ。
 
「おやすみ、江籠さん」
 
 我ながら気持ちの悪い台詞だ。けれど、いつの間にかそれが寝る前の習慣となってしまっている。
 夢で江籠さんに会えますように――そんな願いを込めて僕は目を閉じた。


( 2015/10/04(日) 05:58 )