第十章「勇者ハシケン」
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 夏の夜の街を二人で歩く。もちろん、方向的には江籠さんの家の方向だ。
 僕は自分に対しての失望を隠しきれなかった。何が月を見に行きませんか、だ。我ながら変人にもほどがある。言われた江籠さんの困った表情を見ながら、僕は死にたくなった。

「いやあ、月が綺麗ですね」

 どうせ死ぬなら、いっそのこと玉砕をして死のう。万歳アタックだ。

「うーん。私の目に狂いがなければ、今夜は曇っていてお月様は見えないと思うけど」

 言われて僕は頭上を見上げると、江籠さんの言うとおり、空は雲に覆われていた。

「うん。曇ってるね」

「おっかしいの。ハシケン君って、そんな人だったんだ」

 隣でケラケラと笑う江籠さんに、僕は心から救われたような気がした。さすが泥の中でこそ咲く蓮の花。僕という泥にまみれて、江籠さんは一段と輝きを増している。
 やっぱり僕は江籠さんのことが好きだ。隣で笑う江籠さんを見ながら、僕は確信した。そうすると、幾分かは胸の鼓動が抑えられた。

「あの、あのね、江籠さん。うん、あれだ、そのね」

 それでも素直に告白の言葉なんて出て来なくて、僕は徐々に焦り始めた。今しかないのだ。今を逃したら、永遠に言えないような気がした。

「ちょっとそこの公園でも行こうか」

 たまたま目に入ったのは、公園だった。変なのがいませんように。僕はそう願いを込めて、園内に入る。

「懐かしいなあ」

 園内は思ったよりも小さかった。ブランコもなければ、滑り台もない。ただベンチが二組と、座って遊ぶ遊具が並んで三つあるだけだった。

「来たことあるの?」

「小さい頃にね。私この辺に住んでたんだ。今でも自転車でここは通るけど、いつも素通りしちゃうな」

「そうなんだ」

 告白するのはこの場所しかない。僕は腹を決めた。

「あの、江籠さん」

 自分でも驚くほど大きな声が出てしまった。江籠さんはビックリしたように、身体を跳ねさせた。

「は、はい?」

「あっ、ごめん。あの、その……」

 好きです――その一言がなかなか出て来ない。

「あのね、その、あれなんだよ」

 僕の中でまた焦りが生まれる。頭の中は真っ白で、何も考えられなかった。
 その時だ。暗がりの中で、見知った顔を見つけた。その人はニンマリとした顔でこちらを見ている。

「な、奈々未姉、どうしてこんなところに……」

「え?」

「見ちゃダメ!」

 反射的に僕は江籠さんの目を塞ぐ。

「え? ちょっと、ハシケン君」

「好きだ! 江籠さん、僕は君のことが好きなんです!」

 僕は江籠さんの視界を奪ったまま、ついに告白をした。

■筆者メッセージ
ハシケン、ついに好きだと言ってしまいました。
傍らには奈々未姉。
満を持して、まさかの登場です。
( 2015/12/21(月) 22:16 )