第三章
05
 描きかけの絵画の前に立つ。あなたの横顔をそっと撫でた。油絵の独特な肌触りがする。絵ではなく、本当のあなたに触れることが出来たのならば、どんな感触なのだろうか。きっと私の頬とは違う、張りのある肌に違いない。
 叶わぬ夢は膨らむばかり。一向に手が届きそうにない。まるで雲のようだ。私の頭上をゆっくりと流れゆく雲。それを小石は眺めることしか出来ないのだ。
 
 先ほど座っていた椅子に腰を下ろす。浅く座り、背もたれにグッともたれ掛る。固い木の感触が背中越しに伝わってきた。
 あなたの絵を描くのは、これが何枚目なのだろうか。以前は、書いては額縁に飾っていたが、あまりにも多くなりすぎたため、棚に入れることにした。とても絵を保存するような方法ではないが、商品ではないためどうでもよかった。
 
 もし、あなたの絵を売ったのならば、どれほどの値段になるのだろうか。ぼんやりとそんなことを考える。私のイメージだけで描かれたあなたの姿。目を閉じても浮かんでくるあなたを私はどんな角度からでも描ける。
 そんなあなたを描いた絵を見た昔、私の作品を何も訴えるものがないと言ったあの人は、どう評価するのか。やはり訴えるものは何もないのだろうか。
 
 カメラの代わりにとして描いているあなたは、絵の中では微笑んでいる。私がめったに見ることが出来ない顔。いつも暗い顔で、どことなく悲しみの十字架を背負った女神のようなあなたは、めったに微笑んだ顔を見せない。
 彼女は順風満帆だと思っていた。恵まれた容姿に加え、家庭環境も他の家から比べると生活基準が高いように思われる。あなたに似た美しい姉と、若い頃はさぞかし美男美女だと言われたであろう両親がいる。私から見れば、家族の仲も悪いようには思えない。
 
 それなのに、あなたには陰がある。それを私は数年前から気付いていた。が、どうすることも出来ないのだ。私は所詮あなたにとって赤の他人。私がどれほどあなたを想おうが、その壁を越えられはしない。
 
 
私は無力だ。彼女の闇を晴らしてやることが出来ないのだから。無力で臆病者で、それでもあなたを想う気持ちは確かに存在する。
 寂寞(せきばく)を覚えた私は、再びワインに口を付けた。あれほど飲んだワイン。吐き気を覚えて目を覚ましたというのに、私はまた一気にワインを嚥下(えんげ)した。ひと時の快楽を求めるかのように。


■筆者メッセージ
以上で第三章は終了となります。
次章は再び生田視点に変わります。
( 2013/10/07(月) 22:06 )