第三章
01
 あなたの家からの帰り道、私に虚無(きょむ)が襲ってくる。東の空に(よい)の明星が光りを放ち、西の空は風前の灯に似た赤さが更に虚無(きょむ)感を募らせる。
 私の家まで徒歩にすればものの数分で着く。だがそれが永遠のように長く感じてしまう。どんなに手を伸ばしても触れることの出来ない東の夜空のように。どんなに駆けてもたどり着けない西の茜空のように。自分の無力さだけがただ体に沈殿している。
 
 暗い気持ちで開ける玄関。誰もいない我が家に、自分を出迎えてくれる人などいない。こんな時にもあなたの顔を思い浮かべる。あなたが出迎えてくれたのならば。笑みを浮かべながら、一言「おかえり」と言ってくれたのなら――。
 何度馬鹿げた妄想だと自嘲したか。何度叶わぬ夢だと諦めを言い聞かせたことか。それでも私の妄想は止まらないのだ。
 階段を駆け下りるようにしてアトリエに向かった。
  
  
  
 テーブルの上に置いてあるワインを開ける。床に落ちたコルクを拾うことなく、ワイングラスにドボドボと注ぐ。透明なグラスはすぐに赤色に染まった。
 それを一気飲みする。ブドウの味と独特の酸味が後から口の中に広がった。そのまま木の椅子にドスンと座る。
 
 生前、父が愛飲していたワイン。それを飲んではいるが、何が美味しいのかまったく分からないでいる。ただ、酔うためのものに過ぎないのだ。今日のように一気飲みをすることもあれば、時間をかけて飲む日もある。そんな中で、一気飲みをすれば早く酔えることは熟知していた。
 二杯目を注ぐ。ワイングラスを置いたまま、片手で再びドボドボと注ぐやり方はワインの味を損ねてしまっているのだろう。それを分かっていながらも、どうせ味が分からないのだからどうでもいいと思っている自分がいる。
 
 ワイングラスを鷲掴みにしながら再びの一気飲み。口の端からワインが零れ落ちる。それを手の甲で拭うと、アルコールが頭に巡って来たのか、心地良い気分になった。お酒に強くない私は、大体一気飲みをすればワイン二杯程度でほろ酔いとなるのだ。
 ほろ酔いは好きであった。一時的とはいえ、苦しみから解放をしてくれるからだ。ほとんどはこのほろ酔いの状態で飲むのを止める。だが今日のように強烈な虚無(きょむ)感がある日は違う。私は三杯目のワインを注いだ。


( 2013/09/30(月) 20:57 )