19
「何も言わずに書いて」
そう美月に言われ一枚の紙を差し出された。『離婚届』と書かれた紙。ついにこの時が来てしまったか。
僕は美月に言われた通り何も言葉を発することなく必要事項に文字を書き連ね、最後に判を押した。
「で、あなたどうするの」
美月の口から発せられた『あなた』という言葉。抑揚のない冷たい声でそう言われ、もう彼女の中で僕は夫ではないのだと認識させられた。
「どうするって?」
久しぶりに口を開いた気がする。痰が詰まったかのような声だった。
「いつ出ていくの」
この家の権利は美月へと渡された。慰謝料に加え、家の権利さえも失った僕はもはやここの家は人の家に上がり込んでいるようだ。
「すぐ出る」
次に住む家なんて決まっていなかった。けれどあてはあった。
「あの女のところ」
美月はとうに見通していたようだ。僕は返事をすることなく立ち上がると、他人の家となったここから出た。
きっと愛佳は受け入れてくれるに違いない。お金も家も、そして信用も失った僕だが彼女だけは笑顔で受け入れてくれるはずだ。
僕は愛佳の元へと車を走らせた。この車も間もなく僕の所有物でなくなる。つくづく家族をいうものは厄介なものだ。
新しい車を買わなくては。そう考えた瞬間、そもそもここに住む理由なんてもうないことに気が付く。愛佳と一緒に都会へ戻ろう。新しい生活をそこで始めればいいじゃないか。
もやがかかって足元しか見えていなかった視界が一気に広がった。晴れ渡った視界はとてもクリアで煌びやかなネオンが
僥倖を暗示しているかのようだ。
早く愛佳に会いたい。会って未来の話をしたい。
子供のようにワクワクとした気持ちが体の奥底からあふれ出てくる。こんな気持ちになるのは一体いつ以来だろうか。
信号がタイミングよく青へと変わっていく。まるで道路ですら僕の新しい進路を祝福してくれるかのようだ。
軽快に車を走らせる。速く、速く。愛佳の元へ。