第1章「ペーチャンネル」
07
「なんかトイレ臭かったのよ」

「掃除してないの?」

「違う。そういう臭さじゃなくて、なんていうかイカみたいな臭いっていうか」

 収録を終えるとそんな声が聞こえてきて、私はドキッとした。メンバーがぞろぞろと控え室に戻っていく最中だから後頭部しか見えない。誰が言ったのか私は声の主を探した。

「収録のギリギリだって気が付いて、慌ててトイレに行ったのよ。そしたらなんか臭いじゃん。うわーって。臭かったのは一つだけだったからまだよかったけど」

「誰があの日だったんじゃないの」

「うーん。そういう臭いとは違うような。でも人によってそうなのかもしれないけど」

 腑に落ちないといったトイレに行ったメンバーと、さして気にも留めていない様子のメンバーは誰だ。報告を受けている彼女は明らかに他人事だと思っている。
 心臓が痛い。悪事がばれてしまったようだ。私が胸を押さえながら歩いていると、背中がトンと叩かれた。誰だろうと思って振り向くと心配そうな顔をしている土生瑞穂ちゃんだった。

「大丈夫? 気分悪いの?」

 悪いのは気分ではなく、突然生えてきた男性器です。なんて言えるはずもなく、私は作り笑いを浮かべた。

「さっきの収録で緊張しすぎちゃって」

「ああ、ゆっかーが進行だったもんね。あれは大変だよ」

 普段はMCに頼りっきりの私たちだが、収録の内容によっては私が代わりを務めることもある。もちろんそれを言い渡された時から緊張で吐き気すら催す。
 しかしこれがまさかこんな形で功を奏すとは。何が功を奏すか分からないものである。

「でもさ、終わったのならだいぶスッキリしたんじゃない? どう、この後ご飯でも」

 普段の私なら快く快諾をしていただろう。しかし今はとにかく身体を休めたかった。

「ごめん。今日は用事があるの」

「そっか。じゃあまた今度ね」

 控え室に到着すると、中はガヤガヤとしている。土生ちゃんと別れ、私は帰り支度を始めた。

「そもそもトイレってどうしてあんなにも臭いのかしら。密室だから? いやでも、隙間はあるし。流さない人もいるからかな」

 まだトイレのことを話題にしている子がいる。雑音の中、私は声の主を探すために耳をそばだてると、視界にパッと梨加ちゃんが入ってきた。

「写真、撮る?」

 携帯電話を片手に首を傾げる梨加ちゃんに、男性器がピクンと反応した。最近では心臓よりも反応が早い。
 遅れて心臓がドキドキとしてきた。もちろん不意を突かれた怖さじゃない。可愛さに、だ。

「う、うん。お願いしようかな」

 隣から漂う梨加ちゃんの香り。イカ臭さなんて微塵もなくて、気を抜くと勃起してしまいそうだ。
 写真を何枚か撮るだけで私は神経を尖らせなければならない。男性器が生えてくるまでそんなことはなかったのに。
 悲しみを顔に出さないよう、私は笑顔を作る。けれども、見せてもらった写真はどう見ても具合の悪そうな顔色をしている私が写っていた。

( 2018/04/25(水) 18:42 )