第七章「買い物」
06
 生田と聞いて、圭介は思わず飛び上がりそうになった。

「え? 生田さんって、ピアノがすごく上手な方ですよね?」

「そうだけど。それがどうしたの?」

 怪訝な顔をする麻衣に、圭介の行動は早かった。

「ちょっと僕も体調が悪くなってきました。保健室に行ってもいいですか」

 そう言って腹部を押さえる圭介。

「えっと、本当かしら」

 麻衣の目は明らかに嘘だと見抜いている目だったが、圭介は貫き通した。

「本当です。急にお腹が痛くなってきたんです。これは授業どころじゃありません」

「なら救急車を呼ぼうかしら。盲腸かもしれないし」

「いやいや。救急車はいいです。保健室で横になっていれば痛みが引くかと思います」

 身体をくの字に曲げ、腹部を両手で押さえながら圭介はチラッと麻衣のことを伺い見た。

「しょうがないわねえ。確か自習中って言ってたわね。それなら、自習が終わるまでは保健室に行っていてもいいわよ。ただし」

 麻衣は圭介に向かって人差し指を突き立てた。

「エッチなことはしちゃダメよ」

「しませんよ、そんなこと」

 人が怪我をしたときにはパイズリまでしたくせにと思ったが、圭介はそれを言わなかった。今はなんとしても保健室へ行かなくてはならない。

「よし。じゃあ早く行ってきなさい。私は適当に時間を潰してから行くから」

「ありがとうございます」

 頭を下げた圭介は、颯爽と廊下を駆けた。

「元気じゃない。もう」

 その後姿を見ながら、麻衣は苦笑した。



 授業中の静かな廊下を駆けていくと、すぐに保健室の前にたどり着いた。走ったせいもあるが、憧れの人がいるということもあって息が荒い。圭介は深呼吸をすると、そっと扉を開けた。
 消毒液のにおいがする保健室。一部分だけカーテンに覆われた場所があった。おそらくあそこに彼女はいるはずだ。圭介は足音を忍ばせながら近づく。

「あの、生田先輩ですか」

「そうですけど、どなたですか」

 やはり彼女だった。圭介の胸がドクンと跳ね上がった。

「北野です。あの、新聞部の」

 ああ、という声が聞こえたかと思うと、カーテンが音を立てて開けられた。

「どうしたの?」

 カーテンの先にいたのは、紛れもなく生田絵梨花だった。ジャージ姿の彼女はクリクリとした目で圭介のことを見ている。

「いや、生田先輩が倒れたって聞いたもので。その、お見舞いに行こうかなって」

 後頭部を掻きながら、圭介は勝手に奥へと進んだ。わざわざ嘘をついてまでここまで来たのだ。何の収穫も無しには帰れなかった。

「倒れたって。大袈裟だなあ。貧血で気分が悪かっただけ」

 いきなり来た来訪者に、絵梨花はどことなく嬉しそうだった。

( 2017/06/18(日) 17:53 )